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巨大隠蔽装置としての「戦争」

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ここのところ、比較的軽い話題が続いたので、
今日は少しヘヴィに、「戦争」について書きたい。

戦争は、それを語ろうとする者に「沈黙」のみを強いる。
戦争について我々はほとんど何も知らなかった。
「戦争」には、沈黙の空間が、語ることの何百倍、何千倍も存在する。

「知らないことを知る」のが「戦争」の言説や映像の最も深刻な体験だ。
「知らないということを知る」という体験の深刻さは「戦争」にきわまる。
なぜなら、「戦争」にあっては、今まで「知らないということ」が、
従来の「知る」言葉や文化の不備、歪みという消極性にだけ関わるのではなく、
「知らせない」「隠す」という積極的な働きかけに関わるからであり、
それによって「知らないこと」が強要されるからである。
この働きかけは、戦中戦後に連続する権力のみならず、
さまざまな集団、個人によってなされる。
「知らせない」「隠す」という社会的なネットワークが複雑にそして微細に形成されている
わけだが、それは戦争という出来事の、社会全体を包み込む大きさを物語っている。
こうした事態は、戦争の「敗者」であっても「勝者」であっても変わりはない。
しかも、その強要は、ほとんどの場合、
誰にもそれと気付かれることなく巧妙になされるばかりか、
誰もが自発的に「知らないということ」の囚人となるまでに効力を持つことが多い。

戦争の語りに、「自発的服従」してしまう。
戦争は「隠す」力が働く「謎」の出来事である。
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by epokhe | 2004-09-28 16:17
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