試論Records

epokhe.exblog.jp ブログトップ

"nihilism"への疑問符/「意味」について

a0022584_15123416.jpg

"nihilism"というものがある。

「ニヒリズム」という英語(という発音の英語)はなく、これは日本語である。
「ニヒリズム」は、「虚無主義」と言われたりもする。

「ニヒル」というのは渋くて深遠なものを感じさせるためか、
ニヒルな男性というのが、時として女性にモテたりもする。

"nihil"というのはラテン語で「無」を意味する。
これは、価値的な意味での無であり、「無意味」という意味での無である。

ニヒリズムは内在的であり、超越的な世界を否定する性格を持つ。
これを代表する人物として、ニーチェやドストエフスキイが挙げられる。

私は、ニヒリズムには懐疑の念を抱く。
(ニーチェやドストエフスキイ自身は凄いと思うけど。)
たとえ、transcendentな存在をカッコに入れたとしても、
世の中は無意味ということにはならない。
生活世界の中で、間主観性(相互主観性)の中で、生きているのが我々である。
この世に産まれてきた時、既に意味が形成され蓄積されており、
意味に満ちている。
さしあたり、「私の世界」は、相互主観性の中で、私が常に形成しつつある。
まあ、「私の世界」なんてのは、厳密にはないけど。
「私」は多数の特殊な世界に部分的に属しているものであるから。

というわけで、虚無主義は、否定的に飛躍した発言である。
実際、それほど孤立した人ってのは稀だと思う。
事柄との関わりだってあるんだし。
我々は、肯定的・否定的な意味の中に生きている。

意味の探究は、形而上学である。
身近なものとして形而上学はあり、これは生きた思索の可能性である。
そして形而上学は科学と両立する。
ある一定の限られた視野(前提)と方法が、
科学をつくり上げると同時に科学の限界を生む。
科学は精密であればあるほど「全体知」は得られない。
「全体知」を探究するのが普遍学(例えば、形而上学)である。

おやー、何かニヒリズムとちょっとずれてきたか。
ともかく、世の中が無意味というのは否定的に飛躍した思想であろう。


Cf.永遠回帰・運命愛・ニーチェ
[PR]
by epokhe | 2004-11-16 15:13
line

MAIL: epokhe@excite.co.jp


by epokhe
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite