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他者論

「他者論」を大きく二つに分けてみた。
ちょっと強引だけど分けてみた。

【融和的他者論】
ブーバー
マルセル
メルロ=ポンティ
ハイデガー

【対立的他者論】
サルトル
レヴィナス
ヤスパース


対立的他者論の方が刺激的なので、まずはこっちから。
その中でも際立った主張者であるサルトルはこう言う。

他人とは私に「まなざし」を向けてくるものである。

この「まなざし」とはregard(ルガール)で、英語ならリガード。
他人が私にまなざしを向けるということは、私がオブジェ(客体)になってしまうということである。
自分が自由な主体ではなくなることを意味する。
他人の世界の中に、自分が一つの事物として組み込まれてしまう。
だから、「まなざし」はとても不気味で腹立たしいものなのだ。
では、どうしたら良いかと言うと、自分がまなざしを向ける側に回ればいい。
自分が他人を自分の世界に取り込んでしまえばいい。
これは、火花を散らす闘いであり、永遠に終わる事のない闘いである。
例えば、ある人間に恋人や配偶者がいるとして、お互い信頼し合っているつもりでいる。
しかし、これは表層的なものである。
恋人同士、配偶者同士というのは、自分が他者のものになるか、他者が自分のものになるかの闘争関係を生きている。
つまり、まなざしを向け合い続けている。
これは、死ぬまで続く。

サルトルにとって、「死ぬ」とは「生きている者の餌食になること」である。
「死」は、「完全に他者の餌食になること」である。
他人によって意味を与えられるだけ、ということ。

確かに、他者の餌食になるのは死んでからで十分だな、とチョット思ってしまった。


Cf.ひきこもり批評 ~他者との関わりと1つの自我~
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by epokhe | 2004-12-03 17:42
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