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時空の縮減・触覚優位

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ポストモダンは、果たして本当に「ポスト」モダンか?
「ポストモダン」と言われているものは、極めて近代的である。
「ポストモダン」は、むしろ近代との繋がりの方が強いのではないか?
近代というのは、人間中心主義社会であった。
明治以降、「国民国家」は、人間理性を軸として発展した。
ここでの人間理性というのは、学問や科学や技術である。
よって、国民国家論・学問論・技術論は、切っても切り離せない。
ポストモダンには、こうした「ウルトラモダン」としての側面もある。

情報社会によって美しい幸せな世界に、という一種の福音主義的な言説のもとに、人間は、とにかく「時空の縮減」に努めまくった。
「時空の縮減」のために、あらゆる労力を費やしてきた。
計算処理(コンピュータ)によって時間が縮減され、通信技術によって空間が縮減された。

グーテンベルク革命によって、活版文化・活字文化が生まれた当時、人々は「視覚優位」の世界を生きた。
「視覚優位」の時代は、まだ、自分で時間を持つことができた。
考えたり感じたりすることができた。

その後、情報第2革命によって、電子文化が生まれ、人々は「触覚優位」の世界を生きている。
「触覚」というのは、身体性とか肉体性ということである。
人々の感覚をメディアが規定している。
メディアが身体になっている。
「触覚優位」の時代には、人々は自分で時間を持つことができない。
時間を持っていないため、時間を消費することすらできない。
それくらい速度が速すぎる。

情報通信機器がメディアとなり、例えば、チャットなどは文字を扱うので、これは近代的であるが、ネットサーフィンなどをしている時の人々の精神状態というのは、何も考えていない状態である。
それは反射的であり、考えたり感じたりする時間を持てていない。

時空が縮減され続けてゆく世界に、福音主義的スローガンは、儚く散ってゆくのか。
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by epokhe | 2004-12-09 00:16
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