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くそまじめ破廉恥

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この頃、「まじめ」というのが厄介な現象になっている。
「まじめ」とされている人が、破廉恥な事件や違法な行為や不道徳な行為をしている。
どうしてまじめな人がそんな事を?という素朴な疑問がまず生まれる。
このことは、よく考えなくてはならない。
そもそも、「まじめ」と評価される人間の在り方自体に問題がある。

一般に言われる「まじめさ」というのは自由の観点から離れている。
自分以外の客観的な何かに合わせて行動している人が、「まじめ」と言われる。
そういった人は、融通性が利かない。
頭がカタイ。
自分の思考法を変えられない。
決まったことに自分を合わせているだけである。
サルトルの言うところの「くそまじめな精神」。
くそまじめな人はロボット的な動きをし、そこには自由な私というものがない。
自主的な判断ができず、自由な生き生きした人間的な動きがない。
そういうくそまじめな人が、学校でも会社でも、しばしば高く評価される。
これには管理者の側の問題もある。
ルールにだけ当てはめておいて、中身はどうでもいいという、管理の立場の問題。
くそまじめな人は自立した判断ができないので、違法行為をしても案外平気な顔をしているのである。
とっても不気味なくそまじめな精神。

このように見てくると、「まじめ」という言葉には両義性がある。
ルールだけに従って行動しているロボット的なくそまじめは避けるべきである。
くそまじめは、あらゆる意味で社会を硬直させる。
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by epokhe | 2004-12-20 23:10
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