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フェミニズム/恋愛

ご要望にお応えして、フェミニズムについてサラリと述べてみる。

まず、私は女だがフェミニストではない。
フェミニズムには、欠けた部分があると思う。
フェミニズムは主に、近代以降及び現代の男女差別を批判する理論武装に基づいている。
そして、その起源自体が問題である。

フェミニストの言う「男性中心文化体制」を、なぜそんなに長い期間に渡って、女性達は許容してきたのか?
「何世紀にも渡って続けられてきた男性中心文化体制」と、フェミニストは今になって主張しているが、これだけ長い年月があれば、それまでだって主張しようと思えばできたはずである。
いくらでも覆せたに違いない。
だが、女性達は、その体制を自ら生き生きと選んできたのではないか。
女性も共犯者である。
ある意味では、その方が楽だからそちらを選んできた。
その方が、生きる上で色々な「楽さ」がある。
昔であっても、男性が狩猟や戦闘に行き、女性が家に居るという生活体制は、女性の方が少なくとも生きていられる可能性が高い。
その方が死ぬ確率は少ない。
楽な点は多いであろう。
ただし、これは「集団」や「類」としてそうなってきた。
自由な理性ではないかもしれない。
「社会的な立場における男女の平等」を主張するのがフェミニズムである。

確かに、女は「弱者」ではないと思う。
男女は全く同等の能力を持っている。
よく、「精神的には女の方が強いけど、肉体的には男の方が強い」と言う人がいるが、精神面も身体面も同等だと思う。
個体レベルでみれば、明らかにそうである。
女子プロレスラーや女子レスラーに勝てる男性は多くないであろう。
女性のスポーツの歴史はまだ日が浅いが、女性だって鍛えれば相当強くなれる。
弱い男性もいる。

フェミニストは同性愛を根拠に持ってくることがあるが、それは少々奇妙だ。
恋愛に関しても、男性が「愛した相手がたまたま女性だった。」と言うのはかなり欺瞞だと思う。
異性だから愛したのである。
性が根本にある。
その点では、同性愛も異性関係である。
しかし!こういう発言は、現代では「イケナイこと」になっている。
少し前は、妊娠中の母親のストレスが原因で同性愛の子供が産まれる、ということが正当に述べられていて、そのための科学的・医学的研究も行われていた。
事実、終戦末期にドイツで生まれた子供達には同性愛が圧倒的に多かった。
だが、今は量的な問題として語ることがタブーになっている。
問題とすること自体がタブーになってしまっている。
十分問題とするべきだし、研究すべきであると思う。
医学的な研究も議論もタブーというのは憂うべき事態だ。
ある空気・雰囲気ができてしまうと言わせない、というタブーは他にも多くある。
タブー覚悟で言うならば、同性愛者は不幸である。
それは根本的に自分自身に不調和があるからだ。
外は男性で中は女性、外は女性で中は男性という、この根本的不調和が幸福であるはずがない。
自然に生きられないとしたら不幸である。
性同一性障害という言葉もある通り、それは障害・不調和なのである。

性的なものは内なる自然。

恋愛は決して中性的な関係ではない。
差異は残しておいた方がワクワク感があるし、潤いがある。
差異を無理矢理消去する必要がどこにあるのか?
差異を消去することで、我々は果たして幸せになれるのか?
差異がなくなったら、それは我々の生活にとって快いことではない。
楽しみが減るとも言える。
勿論、男女関係一般が、そう一般に愛という関係には至らない。
男女関係の限られた一部が恋愛になる。
また、浮気とか不倫という言葉が横行している昨今だが、人間はほっとくとそうなる。
人間なんて自然にそうなる。
そのことは、理性で十分承知していなければならない。
単に理想だけあげて、それから外れるものは追い出すという窮屈な関係を選択した男女は、果たして前提としてこれを了解しているのか。
選択したからには当事者性と責任性を持たなくてはならない。
気付いた時には遅し、という人々が多いのではないか。
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by epokhe | 2005-01-21 13:53
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