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化粧の意味・パブリックな身体

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化粧にはどのような意味作用があるのだろうか。
また、化粧という行為とその行為者との間にはどのような関係が成り立っているのだろうか。

私は睫毛が長い(とりわけ下睫毛が長い)ため、マスカラを付けると結構強烈な目元になる。
では、何故マスカラをして目元を強調する必要があるのか。
同様に、何故ファンデーションを塗り、何故チークを入れるのか。
世の中の人間達(主に女性達)は、各々の手法で化粧をするが、それによって絶対的に化粧前より美しくなっているかは保証できず、あくまで主観レベルで手を施しているに過ぎない。
そもそも、この世には客観的な美しさなどというものは存在せず、「美」とは全て主観的なものである。

よって、私の考えでは単に「美」の観点から化粧をしているわけではないという論点が導き出される。
思うに、化粧とは一種のペルソナである。
化粧はペルソナの役目を果たしてくれる。
故に、化粧もせずにパブリックな場を平然と歩いている男性達を見ると、「おー、なんて無防備な…。」などと思ってしまう。
そのような無防備な様子は、世界(世間)に対して非常に無邪気であることを反映しているように感じる。

ルモワーヌ=ルッチオーニという精神科医は、ぼくらのからだのうえで、顔とそれ以外のボディがかくれんぼ遊びをしていると言っている。
「衣服で身体を覆うことは、顔にコミュニケーションの優位をゆずることであるが、仮面は身体をふたたびコミュニケーションの道具にする」というのだ。
仮面、あるいは暗黒舞踏でするような白塗りの厚化粧は、顔のメッセージを消去することで、逆にボディの運動にメッセージ機能を回復してやるわけだ。
ボディにことばを回復する芸術、たとえばパントマイムが道化のような無表情のメイクをするのもそういう理由による。
鷲田清一氏は、女のひとが化粧を日によって濃くしたり薄くしたりするのも、ひょっとしたら他人に対して<わたし>を薄くしたり濃くしたり微妙に調節するというところがあるのではないだろうか、と言っている。

一方、口唇や眼を一個の独立の形象として顔面から分離することで、それは独自の意味作用・アナロジーを開始させもする。
分離され、孤立させられた身体部分どうしが、いろんな連想関係に入るのだ。
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by epokhe | 2005-04-12 14:57
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