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近代的歩行法と、身体の国家管理

日本人は、明治の初め(1868年)まで、皆「なんば」歩きと呼ばれる歩行の仕方で歩いていた。しかし、明治に入ると、学校教育を通して、いわゆる軍隊式歩行法を教えられ、徐々にこの歩行法が広まっていった。今では、よほどの事情がない限り、日本人は皆この軍隊式歩行法で歩いている。

「なんば」歩きというのは、右肩を前に突き出すようにして右足を前に送り出し、続いて、左肩を前に突き出すようにして左足を前に送り出す、という歩行法である。「肩で風を切るような」という形容がなされる、そういう歩き方のことで、腕はだらりと下に下げたままである。全体的にゆったりとした歩行である。ただし、忍者はこの歩行法でかなりの距離を相当なスピードを維持して歩く(走る)ことができたという。武士もまたこの歩行法であったが、彼らは職業上、走ることは許されていなかった。江戸時代までの日本は封建社会だったので、身分によって「歩き方」が指定されていた。つまり、農民には農民の、商人には商人の、武士には武士の「歩き方」が決まっていた。したがって、「歩き方」を見れば、その人の身分(階級)が分かったという。しかし、基本的には、皆、この「なんば」歩きで歩いていた。

軍隊式歩行法については説明の必要もないと思う。軍隊の兵隊達が整列行進していく時のあの歩行法である。もちろん、厳密に言えば、国によって兵隊の歩行法は少しずつ異なる。しかし、基本的には、腕と足を交互に逆に送り出す歩行法である。つまり、右足を前に送り出す時には右腕を後ろに引き、左足を前に送り出す時には左足を後ろに引く。すなわち、下半身と上半身は逆の動き方をするので、結果的に「逆ひねり」の運動が生まれる。これが、ここでいうところの軍隊式歩行法である。この歩行法はオリンピックの開会式などの入場行進にも見受けられる歩行法である。最近は、かなりリラックスした歩行による行進が展開されるようになったが、一昔前までは、軍隊の行進と少しも変わらなかった。

こうして、最初は軍隊を通してヨーロッパの近代的歩行法が日本の中に移入された。そして、それは、やがて、学校教育を通して子供達のからだの中に移入されることになる。整列・行進を中心にした「集団秩序訓練」である。指導者の号令一つで、全員が揃って同じ行動がとれるようにする訓練である。並び方(気をつけの姿勢、休めの姿勢、右へならえ、整列の仕方)、隊列の組み方(二列縦隊、三列横隊、など)、歩行の仕方(その場足踏み、前進歩行、方向転換、など)、向きの変え方(右向け右、左向け左、回れ右、など)、等々の訓練である。歩行法についても、さらに、微に入り細にわたり指導を受ける。小学校で「集団秩序訓練」をやらなかった人はいないだろう。私も小学生時代にやらされた記憶がある。運動会もその一環ではなかろうか。

隊列行進運動という伝統は意外な展開をみることになる。例えば、青年運動では「ワンダー・フォーゲル」活動をその活動の中軸に据えた。近代オリンピック競技大会の開会式の行進もそうであり、「ヒトラー・ユーゲント」の行進も、ソコール運動も、或いは、社会主義国で開催されるスポーツ大会などの行進も、皆、ここでいう「近代的歩行法」を採用していた。今日、最も際立った行進を示しているのは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の軍隊の行進であろう。

このように考えてくると、近代的歩行法は、一つには、国民の身体を国家管理のもとに位置づける上で大きな役割を果たすと同時に、共同性の中に個人の身体を埋没させる上でも(或いは、国民としての共同体意識を育成する上でも)重要な役割を果たしたことが分かってくる。
by epokhe | 2005-12-07 21:10
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