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国民皆兵=国民皆企業人 / 民族

日本の近代国民国家が要請した最も重要な柱の一つは「富国強兵策」だった。
これを身体論的に整理すると、次の二つになる。
すなわち、一つは、経済発展を支える有能な労働力としての身体の確保であり、もう一つは、列強諸国と対等に戦える強い兵士の身体の確保である。
したがって、日本の近代国民国家を支える優秀な国民の条件とは、一つは、すぐれた労働者となることであり、もう一つは、すぐれた兵士となることだった。
そのため、近代の学校教育もこのことに全力を傾けることになった。

近代国民国家は、封建制の身分制度を廃止し、国民はいかなる職業につくことも「自由」となった代わりに、「国民皆兵」という「おみやげ」も付いていた。
同時に、急速に産業化も進展して、多くの産業労働者を必要とするようになった。
こうなると、軍隊の規律を守り、命令どおりに行動する身体と、新しい産業構造に適応する労働力となる身体が求められることになる。
すなわち、規律をよく守る、命令に従順な、平均化された「均質の身体」である。

以上は、近代国民国家のことだが、現代だって全く変わりはない。
兵士が企業戦士になっただけで、内実は同じことである。
資本主義の世界化は、逆にナショナリズムを強め、民族意識を逆撫でする。
それをものともせずに乗り越えられてしまったアメリカ、つまり、血や民族の課題を何とかやっとのことで克服しようと努めたアメリカは、やはり当然強いに決まっている。
日本やヨーロッパ諸国を含む、他の先進諸国は全て、これがどうにも解決できずにいる。(例えば、外国人労働者の問題。)
「民族」の問題を解決できた国は、今後強いであろう。
それは「解消」でなく、「解決」でなくてはならない。
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by epokhe | 2005-12-16 17:12
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