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映画『男たちの大和/YAMATO』 ~久石譲の映画音楽~

「アメリカは個人主義の国じゃけぇ、すぐに降参しよるって新聞に書いちょった。」

a0022584_1174630.jpga0022584_1181287.jpg映画『男たちの大和/YAMATO』鑑賞。

映画館は、ことごとく満員。
このご時勢に、この映画が公開されるというのは、何かしらの意図がある。
そして、この満員ぶりは、その意図を裏付ける。
角川春樹は、『男たちの大和/YAMATO』で観客1000万人動員させると言っていた。
それに対して、どっかの映画評論家が、せいぜい500万人だろうと言い、角川さんが怒っていたけれど、これはホントに1000万人いくかもしれない。
国民の1割が、この映画を観るとしたら、世論は傾くだろうか。

私は個人的な理由で、戦争ものに滅法弱く、色々とオーバーラップして、すぐ涙を流してしまう。
『男たちの大和/YAMATO』でも、幾度となく涙腺が緩むシーンがあった。
周りの観客も、涙をすすっていた。
一緒に映画を観たC・S氏(♂)も、意外なことにちょっと泣いたらしく、「ヤラれた。」と悔しがっていた。
私は随所で涙を浮かべていたので論外だが、彼にどこで泣いたのか聞いてみると、シーンや場面は全部ベタだが、「音楽」でヤラれたらしい。
そうです、音楽は、かの「久石譲」。
久石譲に会ったことのある彼は、以前、久石譲から聞いた話の詳細を教えてくれて絶賛していた。(久石譲さんがジャケットを脱いで黒のTシャツ姿になったらしいのだが、「おっちゃんのくせに意外とマッチョ。」だったとも言っていた・笑)
ただ、彼の話によると、今回の映画『男たちの大和/YAMATO』では、角川さんが相当音楽にこだわって、久石譲にも色々とイチャモンつけて仕切ったらしい。
事実、エンドロールでは、「音楽」は「久石譲」なのだが、「音楽プロデューサー」は「角川春樹」だった。
私が想像するに、久石さんご自身は、今回のやり方はやりにくかったんだろうな、と察する。
理由として、以下に、彼から聞いた、久石譲さんのご意見を記す。

◎「映画音楽を作ること」とは? 
 →映画の世界観にあわせて音楽をつくる(監督にあわせるのではない)。
 →自分がよいと思うフィルターを通してつくる。
◎日本の映画音楽(映画もだが)は「王道」がない。
 →1つの映画に、「オーケストラ」「ロック」「ジャズ」などが、雑然と使われているものが多いが、『それぢやあ、だめ!』(←久石さんの言葉)
 →映画音楽の「王道」をつくりたい!(1つの世界観でまとめた音楽)
◎君が監督をやることになって、誰かに音楽を発注するときは・・・
 →発注した相手に、全て任せてほしい。
  ※本当に納得いく音楽がほしいのであれば、自分で作れ!
◎映画音楽をつくる際のストレス
 →「あんなに時間かけて必死こいてつくった曲なのに、映画の中で使われている時間は、こんな短いのかよ!」ということが多々あり。
 →映像に合わせて、曲の長さやトーンを変えなくてはならないときあり。
 →監督やプロデューサーに、曲について、がたがた言われる。
 →ただし、これが、一人でやっていては気付かなかった発想や、新しい分野への第一歩となったりすることもある。

今回の映画『男たちの大和/YAMATO』のケースは、まさに、「プロデューサーに、曲について、がたがた言われる」というストレスフルなケースである(笑)。
しかし、「これが、一人でやっていては気付かなかった発想や、新しい分野への第一歩となった」可能性もある。
実際、ワタクシドモは、音楽にヤラれましたから、ハイ。

映画音楽、映画スケール、リアル感、共に良かったと思う。
キャストは、寺島しのぶ以外は全員ハマリで完璧だった。
(寺島しのぶは、獅童の恋人役としては「トシ」過ぎるだろ!C・S氏も、「寺島しのぶが最初出て来た時、獅童のお母さんか誰かかと思った。」と言っていた。。。獅童と不釣合いで、とても恋人とは思えなかった。駄目。別に寺島しのぶじゃなくても、もっと他にハマリ役がいたんでは?)

***『男たちの大和/YAMATO』 STAFF***
原作/辺見じゅん JUN HENMI
富山県に生まれる。早稲田大学文学部卒業。編集者を経て現在、作家・歌人として活躍中。

監督/佐藤純彌 JUNYA SATO
1932年11月6日生まれ、東京都出身。56年東映東京撮影所に助監督として入社。

音楽/久石譲 JOE HISAISHI
国立音楽大学在学中より現代音楽の作曲家としてコンサートの作曲・演奏・プロデュースを数多く行う。

主題歌/長渕剛 TSUYOSHI NAGABUCHI
1956年9月7日生まれ、鹿児島県出身。78年「巡恋歌」で本格デビュー。

撮影/阪本善尚 YOSHITAKA SAKAMOTO
1942年2月14日生まれ、奈良県出身。64年、岩波映画とカメラマンとして契約。その後、成島東一郎に師事。

セカンドユニット監督/原田徹 TORU HARADA
1955年9月8日生まれ、京都府出身。TV時代劇『風車の浜吉』(92年)で監督デビュー。
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by epokhe | 2005-12-19 02:10
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