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アカの他人の幸せが、自分の幸せを蝕む可能性について

以前、ランディさんがブログで『他人の幸せを破壊する』という記事を書いていた。
私の某女友達が葛藤している問題と関連があると思ったので、ここでその記事『他人の幸せを破壊する』を紹介させて頂く。

(引用開始)
自分が悪いから、自分がガマンすべきだと思っている人がときどきいる。
あんがい多い。
離婚して、親権を奥さんがもっていってしまって、子供に会わせてもらえない。
消息もわからなくなった……と、その人は言うのだ。
奥さんはもう別の男の人と再婚して暮しているから、自分が会いに行ったら子供が混乱するって、その人は言う。
「混乱してもいいじゃん、混乱したほうがいいじゃん、会いに行っちゃえ〜」
と私は他人事なので断言した。
「そんなことしたら、向こうの家庭の幸せが壊れるかも……」
その人はとてもいい人だと思った。だけど、私は誰かにがまんをさせて、誰かを犠牲にして自分たちだけ幸せになってる人の幸せは、壊していいと思っている。
私もそうやって壊されたことがままあるが、壊されてよかった。
幸せが壊れるのを恐れているのは、幸せじゃないような気がする。

(引用終了)

“誰かにがまんをさせて、誰かを犠牲にして自分たちだけ幸せになってる人の幸せは、壊していいと思っている。”
⇒ああ、その通りだろうと思う。冒頭に申し上げた某女史は、抱え切れない我慢をしていると察するし、多大な犠牲を引き受けていると感じる。

“私もそうやって壊されたことがままあるが、壊されてよかった。”
⇒そう。某女史という存在がいる時点で、既に彼らは崩壊しているのだ。もうずっと前から「終わってる」関係であることを、当事者の彼ら自身が気付いていない(気付く能力を喪失している)のだ。壊すのは、彼らにとってみても良いことかもしれない。

“幸せが壊れるのを恐れているのは、幸せじゃないような気がする。”
⇒"Oui."(←「うぃ」と発音)。壊した後の結果が恐いと言って行動に起こさないのは、ただの「逃げ」だと思う。それと同時に、そうやってヤキモキしているのは、非常に非生産的で不衛生な状況だ。本来は望まないような「無難」な道ばかり選択する行為は、到底、幸せとは程遠い。


さて、聡明で鋭い皆様でしたら、某女史がどのような立場に置かれているのか、きっとお気付きのはずですよね。
さあ、破壊の季節がやって参りました。
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by epokhe | 2006-03-11 18:24
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