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「映画」「映像」と、「否定」「抹消」

映画フィルムはたえず直前のコマ画像を修正・変化させながら、微細なレベルでのディテールの「否定」を、時間的多重層性の中で積み重ねていくメカニズムに依拠した視覚メディアである。
最初ネガ・フィルムに撮影されたものをコマ編集し、次にポジ・フィルムに反転転写させたうえで、そのフィルムを映写機器に同一速度で間欠的に提示することで、私達の網膜上の残像作用も手伝って、対象が一連の運動をしているかのように見え始めるのだ。
こうした現実には存在しない見た目のヴァーチャルな運動は、「仮現運動」と呼ばれているものである。
G・ドゥルーズのいうところの「リュミエールの爪」、または「イメージの駆動メカニズム」である。
映画は基本的に、前後を入れ替えたり、切断したり、廃棄したり、挿入したりといった「フィルム編集作業」によって、錯簡的に再解体してみることにより、今度は逆に、例えば弁証法(モンタージュ手法)的に映像が組み立てられ、物語的構造を獲得していくことが可能になる。
映像自体には「消す」原理が内在している。
映像が獲得したボキャブラリーであり、文法であるところの「クローズアップ」手法なども、実は視覚的に「消す」機構を備え持っている。
「クローズアップ」は、事物や世界を拡大してよく見せる視覚の話法とのみ考えられがちであるが、実は、フレームという外枠に掻きとられているために、拡大していけばいくほど、その周縁部からはみ出した世界は、「抹消」、「削除」されていく一種の抑圧システムが働くことになるのである。
視覚が中心化されると、「消されていく」世界が惹起する関係が成立する。
20世紀は映像の世紀ともいわれる。
映像は消し(=殺し)たり、破壊したり、毀損したりするバイオレントなボキャブラリーを、多く激しく持つことになった表現メディアでもあったことを確認しておきたい。
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by epokhe | 2006-07-20 00:33
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