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都市と分裂

近代都市にあって、人は他人や組織に容易に騙されまいとして、極度の警戒心を要し持ち合わせる人間に仕立て上げられる。
顔の表情や心理を素早く読み解く「視覚的人間」が優位を占め、合理的で分析的思考に習熟し、冷淡な身振りや作法を身につけ、情報に価値を見出すことができ、自明のことを疑ってかかる「探偵的人間」を都市は形成し産出していく。
いみじくも資本主義社会の論理構造とその矛盾を暴露し、商品と貨幣の分析からはじめて資本の生産過程を読み解いていったマルクスが、疑いのまなざしを把持し、「懐疑」することの思弁性をテーゼ化しようとしたことをここで思い起こしておいても、あながち、こじつけでははいだろう。
では「都市」とは一体何なのか。
それは肉眼に「見えるもの」を表徴化し記号化させ、他方「見えないもの」を構造化する装置である、と言ってもいいだろう。
そしてそのことは取りも直さず、都市は、都市自らの身体を、見える世界のヴィジブルな領域と、見えない世界のアンヴィジブルな領域とに、或いは、暴かれる可視的なものと、まだ謎めいた不可視の領域とに分節化していくことを意味する。
つまり、表向きは、あそこにビルがあり、その東にタワーがあり、そこから前方に公園が広がっている、といった視覚的表象の記号で覆い埋め尽くされる。
しかしそのことによって、それに対応するかのように、また、あたかも事物とその影との関係のごとく、不可視のアンダーグラウンド的な闇の境域も同時に形作られていくことにもなる。
分節化された都市の身体を生きる人間は、同時に、分節化された心性を生きねばならないことになる。
対他的にいだく極度の警戒心 / その一方で恐るべき無防備性
他人への極度の関心 / 全くの無関心
熱情や競争心 / 退屈で怠惰な心性
こうした相対立するものが、いつも隣り合わせに同時存在している、多少なりとも分裂症的人間像が輩出されることになる。
現代の都市的感性は、「背後が気になる」「たえず自分の後ろ側を意識せざるをえない」状況と不可分の関係にある。
都市は、「死角的領分」を生んだ。
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by epokhe | 2006-07-25 22:13
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