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体育未履修問題と保健体育教科書問題

私の夜の副業は家庭教師である。
主要5教科(英・数・国・理・社)全てを教えている。
さらに、期末考査前の時期は、主要5教科に加えて実技科目(美術・音楽・保健体育・技術家庭)も教えている。
こうやって書き上げてみると、何だか私は「何でもマン」のようだが、そんなこともなく、ごくごく普通の人間である。

世界史未履修問題が話題となったが、進学校は、それに加えて「体育」の授業が足りていないのではないだろうか。
体育の単位など気にしたこともなかったので、定かでないことをとやかく言えないが…。
また、私の場合は中学生の頃からジムに通っていたので別に構わないが、中高生にとって体育の授業だけでの運動だと、「運動量」としても確実に足りない。

家庭教師をしていることで、現在の保健体育の教科書(学研)を目にする機会があった。
私自身は中学の時も高校の時も、保健体育の教科書というものをまともに読んだことがなかったように思う。
さて、その中に以下の記述があった。

“性は本来、愛に結びついた人間的なものです。”

…さっぱり解らない。
そもそも、「性」というのは何を意味しているのだろう?
sex(生物学的性別)のことなのかgender(社会的性別)のことなのかsexuality(性的かかわり行為)のことなのか、全く解らない。
そして、その「性」に“本来”という言葉が続くので、ますます解らない。
性に本来もクソもあるというのか。
この「性」という日本語は本当にややこしい。
「男性」「女性」の「性」もそうだし、「精神性」のように「○○的なもの」という意味の「性」もあり、「男性らしさ」「女性らしさ」を「男性性」「女性性」などと言ったりすることもあるから、もうたまったものではない。
教科書などの教育的な書物では、sexuality(性的かかわり行為)のことを「性」という言葉で片付けようとして、結局何を指しているのか曖昧である。
さらに、「愛」「人間的なもの」といういいかげんな表現も誤解を招くだろうし、おっさん(或いはオネイチャン)らの現実を見抜いている現代っ子の生徒達には机上の空論だろう。
これ以外にも、保健体育の教科書には、案外とイデオロギッシュな表現が多用されており、また、ある一方から見た偏見的な記述が目立つ。
とってつけたように優等生的で、どうしようもなく作為的な文章・図表のオンパレードと言って良い。
以上は、別に保健体育教科書に限った話ではなく、歴史教科書に限った話でもなく、全ての教科書に共通することである。
昭和生まれの私自身が使用した教科書と、平成生まれの少年少女らが現在使用している教科書は、見た目も中身もこっそりと変遷を遂げているのだ。
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by epokhe | 2006-11-23 00:47
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