反復/差異
ここにおのずと反復ということが特別の意味を持ってくる。
大量生産などの場合のように、反復が完璧であればあるほど、
どこに差異があるのか、ますます(合理主義の立場からは)捉えがたくなる。
反復とは決して同一のものの繰り返しではなく、一種の差異の産出なのである。
反復の持つこの積極的な意味を明らかにしてくれるのは、
デリダ(『声と現象』1967)の「初めに反復があった」ということばである。
それは予め何かオリジナルがあってそのコピーがつくられるのではなく、
オリジナルそのものが既にコピーであることを示している。
写真(マルセイユのスクリュウ男):M・S氏撮影