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民族学的経験

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おなじひとりの人間が、自分の論ずるすべての社会を経験によって知るということはできもしないし、またその必要もない。
かれが時折、しかもかなり長期にわたって、他の文化から教えられるすべを学んだというだけで十分である。
以後かれは、一つの新しい認識の機関をわがものにするわけだし、自分自身の文化のうちに取り込まれていないために、それによってかえって他の文化とも疎通しあえるような、みずからの野性の領域を取り戻したことになるからである。

メルロ=ポンティ『シーニュ』より

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上記を、メルロ=ポンティはわれわれ自身の「民族学的経験」と名づけた。

彼において根源の探究は、
「厳密に客観的方法によって得られる大上段にのしかかる普遍ではもはやなく、われわれが民族学的経験によって、つまりたえず他人によって自己を吟味し自己によって他人を吟味することによって手に入れる側面的普遍である」。
つまり、「原理的にいって他国や他の時代のひとびとにも接近可能となるような一個の<拡張された経験>を構成すること」、それが問題なのであった。
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by epokhe | 2004-08-20 03:22
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