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両性具有/男

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男色は日本だけでなく、ギリシャ・ローマは元より中近東でも印度でも中国でも昔から盛んに行われたが、或いは宗教上の制約から、もしくは常民の生活から逸脱しているところに魅力があったのだろう。
だが、そうとばかりもいえないのは、十三、四から二十歳前後の男の子には、誰が見ても人間ばなれのした美しさがある。
それがわずか四、五年、長くて六、七年で消えてしまうところに物の哀れが感じられ、ツバメの趣味なんかまったく持合わせていない私でさえ、何か放っとけないような気持になる。
シモヌ・ド・ボヴォワールは、「人は女に生まれるのではない、女に成るのだ」といったが、男は男に成るまでの間に、この世のものとも思われぬ玄妙幽艶な一時期がある。
これを美しいと見るのは極めて自然なことであり、別に珍しいものではないと私は思っている。

白洲正子『両性具有の美』(菊花の契り)より

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「両性具有」という言葉はいささか硬質で学術的な響きを持っているが、
やまと言葉では「ふたなり」と称し、病草紙に哀れな姿をさらしている。
確かに病であれば人間にとってこれ程恥しく不幸なことはないのであるが、
ギリシャやローマでは逆に持て囃された場合もあるようで、中国でも男が子を産んだり、
年上の女が嫁入り前の生娘に性の快楽を教えたことを南方熊楠は指摘している。

白洲正子さんという人物は、とてつもなく偉大すぎて荘厳すぎて、
理想のそのまた先の、死んでも手の届かないような所に存在する人物なので、
ここでは語り得ない。
最も深く影響を受けた人については語りにくいというのは勿論のことであり、
白洲さん自身について語るには、まだまだ時間と能力と感性を要する。
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by epokhe | 2004-08-20 22:23
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