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ゴダール論のほんの一部 ―Jean-Luc Godard―

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Jean-Luc Godard (ジャン=リュック・ゴダール)
映画監督
ヌーヴェル・ヴァーグ
1930年12月3日生まれ(出身地:フランス/パリ)

(Cf.記憶と歴史と出自の抹殺

【1】
ゴダールの人物は何でもやってのける。
事実、彼らが心理的典型に属さないことは、何度となく指摘されたことである。
『勝手にしやがれ』の女主人公は、各ショットごとに我々の理解を阻む。
彼女の行動は、一瞬一瞬矛盾し合っているかのごとくであり、
それは、男を愛していないことを自らに証明するため、
愛している男を警察に告発する時頂点に達する。
これに反し、『女は女である』のアンジェラは、ある考えを抱くと、
その考えを徹底的に突き進む。
つまり、ゴダールの世界には、二種類の人物がいることになる。
すなわち・・・・・・
――明確な判断に従う人物。
――重心を見出せず、矛盾の中を彷徨う人物。

【2】
ゴダールは、何でもいってのける者を映画にする。
それはまず、愉快なものとして受け取られた。
だが、二度目の映画で、人々は非難した。
それは本当に無意味である。
何も言わないために喋るようなものだ・・・・・・等々。
しかし、実のところゴダールの映画において、
何が語られているかは、誰も知らなかったのだ。
ここで再び矛盾と非論理が勝利を占める。
ただ、『軽蔑』の中でフリック・ラングはこう言うだろう。
「非論理が、論理に逆らって進むことは、論理的です。」
ゴダールの人物を語ることは、この非論理的論理の方向に向かうことである
と言えるようだ。

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「言葉と行動における自由人」の視線を、ゴダールはたどっていた。
【1】の中で触れた『勝手にしやがれ』は、彼の長編デビュー作である。
ゴダールの前期の作品は「自由」。
後期の作品はプロパガンダになっているから、味が違ってしまうのだが。
前期と後期の質的差については、また機会を改めて・・・。
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by epokhe | 2004-09-07 02:12
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