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「新札」の真相 ~ほんとココだけの話~ 秘話中の秘話

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11月1日から「新札」が登場する。
財務省は、「偽造抵抗力強化」の観点から新券を製造することを決定した
としているが、それにしては、オカシイと思いませんか?
財務省が言う理由は建前上の理由であって、
実は、真の理由は別にあるのです。
ココだけの話ですが、記事を読んでくださっている方々には
こっそりお教えしましょう。

ズバリ!
事の全ては、新渡戸稲造にあります!
1904年当時、日本は朝鮮人を強制収容していて、
それを支持・指揮していたのが、新渡戸稲造という人物であった。
そして、数年前、北海道大学の下から、
当時収容されていた朝鮮人の人骨が、大量に発掘されたのだ。
これらの人骨がどう処理されたのかは知らないが、
とにかく、現在の朝鮮との情勢において、収容支持していた代表的人物を
国の紙幣の図柄に掲げておくのは非常にまずい、ということになった。
よって、五千円札の図柄を早急に変更せねば、ということになり、
だからといって五千円札だけ変更するのは不自然だから、
千円札の図柄も変更しよう、という運びになった。

つまり、夏目漱石は、新渡戸稲造の道連れなのです。
夏目さんは悪くありません。
夏目さんは、「とばっちり」を喰らっただけです。

壱万円札が福沢諭吉のままなのは、もう言わずとも明らかだと思うが、
福沢さんがケーオーの創立者だからです。
ケーオー系列の政治家や官僚が、
彼を残存させたがる心情はよく分かります。

よって、今回の新札騒動は、極めて対外的な理由によるものです。
「偽造抵抗力強化」なんていうのは、ほんの建前に過ぎない。
偽造抵抗力を強化したいだけだったら、必ずしも図柄を変える必要はないし、
もし変えるんだったら、全ての札において変えるのが妥当であるのに、
それはしていないのである。

どう考えても奇妙だったが、真相を知って納得した。
とにかく、発端は全て新渡戸稲造にあるんだから。

ほんとココだけの話として宜しくね。
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by epokhe | 2004-10-30 20:17

うつろな情報技術

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「ライ○ドアとは何者か」という問いに、誰も答えられなかった。
面白い。
ライ○ドアが一体何をやってる会社か知っている人が二人だけだった。
その二人もうまく説明できていなかった。
当然。

楽○の社長は暗くて気色悪いし、
かといって、ライ○ドアの社長は妙に明るいし、
変。
おかしい。
ひょっとして、二人ともどこかの「やらせ」なんじゃないか。

アメリカで、"IT"はモノにならない、と皆が気付いたのは何年前だったっけ。
崩壊したのはいつのことだったっけ。
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by epokhe | 2004-10-28 23:37

キスとキズ Kiss&Hurt

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今、気になっている邦画は、『キスとキズ Kiss&Hurt』
10月30日に池袋にてロードショーで、初日には舞台挨拶もあるらしいので、
都合が許せば是非行きたい。

アップした写真はロケ現場のもの。
一番左が須賀貴匡で、その右でメイク直してもらってるのが寺島進だと思う。


この他に観たい邦画は、『血と骨』
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by epokhe | 2004-10-26 18:41

超えてゆける人

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以前の記事:現象以外のことを考えざるを得ない、考えてしまう衝動に関して、佐藤某氏の見解を得たので、それを以下に。

我々は普段、客観的事実によって動いている(動かされている)のではない。
客観的な事実からは「愛」なんて生まれてこない。

以前の某件に関して、政治家は「人道的な配慮」を根拠にして政治行動を行ったが、「人道」なんてどこにあるのか?
彼らは「人道って、ほら、ありますよね、皆さん。」としか言えないまま、
それを根拠にしている。

憲法の条文に書いてあるから「自由」や「人権」があるわけではない。
証明できない。
過去の歴史を見ても、自由・人権を享受して生きた人の方が断然少ない、
というのが客観的事実である。
自由・人権を享受して生きられたのはごく一部の権力者であった。
圧倒的多数が、自由も人権も享受できずに苦しみに喘いで死んでいる。

人権も自由も愛も、自然的(physical)にはまともに論じられない。
意味を求めて行動するという知的な営みは、
metaphysical(形而上学的)である。
形而上学的な見方がない人というのは、人として潤いがなく、
人間として欠陥のある人だ。
そういう人は、事実のレベルでしか生きられない。
客観的事実の中にそれを超えた意味を見い出せる人が良い。
このことは、逆に、現実を素直に見ることである。

近頃、よく報道される「犯罪」は、形而下的(physical)な人が増えている、
ということを如実に表している。
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by epokhe | 2004-10-26 14:07

死なない蛸(たこ)

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萩原朔太郎  ≪死なない蛸≫

ある水族館の水槽で、ひさしい間、飢えた蛸が飼われていた。
地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻瑠天井の光線が、いつも悲しげに漂っていた。

だれも人々は、その薄暗い水槽を忘れていた。
もう久しい以前に、蛸は死んだと思われていた。
そして腐った海水だけが、埃っぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまっていた。

けれども動物は死ななかった。
蛸は岩影にかくれていたのだ。
そして彼が目を覚ました時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、恐ろしい飢餓を忍ばねばならなかった。
どこにも餌食がなく、食物が尽きてしまった時、彼は自分の足をもいで食った。
まづその一本を。
それから次の一本を。
それから、最後に、それがすっかりおしまいになった時、今度は胴を裏がえして、内臓の一部を食いはじめた。
少しずつ、他の一部から一部へと。
順々に。

かくして蛸は、彼の身体全体を食いつくしてしまった。
外皮から、脳髄から、胃袋から。
どこもかしこも、すべて残る隈なく。
完全に。

ある朝、ふと番人がそこに来た時、水槽の中は空っぽになっていた。
曇った埃っぽい硝子の中で、藍色の透き通った潮水と、なよなよした海草とが動いていた。
そしてどこの岩の隅々にも、もはや生物の姿は見えなかった。
蛸は実際に、すっかり消滅してしまったのである。

けれども蛸は死ななかった。
彼が消えてしまった後ですらも、なおかつ永遠にそこに生きていた。
古ぼけた、空っぽの、忘れられた水族館の槽の中で。
永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――ある物すごい欠乏と不満をもった、人の目に見えない動物が生きていた。


(以上、詩集『宿命』より)

*******************************

こんな、人の目に見えない動物も感じていたい。
死なない蛸は、きっと私達自身だ。
恐らく今、私達は、死なない蛸に向かってなだれおちていく時代を、
生きている。
或いは、死なない蛸に未来を見るしかない時代を生きている。
人の目に見えない動物は、現在の解釈システムの無効性を告げており、
私達が「現在」にとどまり続けることの不可能性を告げている。
だからこそ、「普通」の帝国に、私達はとどまるわけにはいかない。
なんちって。

*******************************

こちらで『死なない蛸』の朗読が聴けます!
お時間のある方は是非!
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by epokhe | 2004-10-25 00:09

天災王国

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本日は中高時代の友人Kの誕生日だった。
Kは、ロースクール(法科大学院)に受かったため、
来年からまた2年間勉強すると言う。
ロースクール行っても司法試験の合格率が低過ぎて、
もはやロースクールはヤバイらしいよ、とは口が裂けても言えなかった。

そして、今日の地震の話題になり、Kの友達の話を聞いた。

「友達の実家が長岡市で、この前の洪水で、家がだめになって、
最近家具を新しくしたばかりだったらしいのに、
また家具すべて壊れて壁も一部壊れたらしい・・・。」


と、言っていた。
あちゃー、こりゃぁとんだ災難だ。
今日の地震は余震が多過ぎた。
「天災が続いていて怖いね・・・。」
という、ありきたりの締めくくりでこの話題は幕を閉じた。

と、思ったら今もまた揺れている。
地震は懲りることを知らない。
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by epokhe | 2004-10-23 23:40

直系家族と核家族の間で揺れ動く日本人

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天皇制を前提とした儒教←を読んで・・・。

明治以降の日本は、家族を基盤にして、名門でもないのに家の恥とか親の顔に泥を塗るとか言って、家を単位にして教育をしてきた。
最も分かりやすい親を持ち出して親孝行から天皇への忠誠を説く。
国家の統制にもうまくいき、泥棒をしないことから左翼の転向まで、規範に従わせるのに非常に楽なやり方だったと思う。
家族の名を借りて、国家が必要とする国民道徳を押しつけて規制してきたことが崩れてきたことと、人口論的にも昔の家族にフィットしなくなっていることとを考えれば、「家族」が崩れていくことも、当然の変化かもしれない。

ヨーロッパの場合は、社会に核家族的なものが伝統的にあった。
19世紀の産業化以来、核家族の中でさらに夫婦の親愛感が強まり、子供を大事に育てるという形になった。
西欧やアメリカでは1960年代になって、そういった「子供中心社会」とか「近代家族」といったものが、さらに変質した。
それまでは子供のための家族だったものが、カップルのための家族、連れ合いと共に自己実現(←この言葉は好きじゃないけど…)するための家族というように変わってきた。
また、「結婚・性・生殖」の三位一体性のモラルが、60年代から溶解して、分離が始まった。
未婚者の性行動の活発化とか有子同棲とか、結婚しても子供を産まないとか、現象的にはそういったことだが、それはつまり制度としての結婚から、個人の自己実現(←ほんと嫌いな言葉なんだけど…)のために何がいいか、それぞれが選択し始めた結果ということだ。
自分が中心で判断する家族観に変わっていったということである。

ところが、日本の場合はそう単純には動いていかない。
日本にはもともと直系家族制度をよしとする文化風土があって、そこに明治民法が武家的なものをくっつけた。
戦後の新民法はアメリカ型の核家族をモデルとして作られたが、実際は直系家族時代の姿を引きずっている。
ヨーロッパでは伝統的にあった核家族が、日本では現在進行中であるということが、家族の姿を複雑にしている一つの要素だと思う。

そして、そういった変化は全国一律に同じ速度で起きているわけではない。
地域性、家族の就労業態による差がとても激しい。
日本は、確かに貧富の差や情報格差は、他の国に比べれば少ないかもしれないが、意識の中身は極端なことを言えば、100年前の意識と、欧米並みの意識を持った人が、同じような服を着て、同じような家に住んで混在しているということだ。

ということで、政策的にも非常にやりにくい国なのだ。
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by epokhe | 2004-10-22 18:12

男性の口説き方の違い

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韓国人の作家、呉 善花(お そんふぁ)さんの視角(以下)に触れて、
東アジア儒教圏でも相違点があるな、と思った。

男の人が女の人を誘う時の様子が、韓国と日本では全然違う。
男性が女性を誘う時、自分のいい所を女性にアピールしたいということは、世界中のどこの男性であっても共通していると思う。
韓国の男性も、自分のいい所を積極的に女性に売り込む。
とにかく自分の完璧さをアピールしようとする。
ところが、日本の男性はその売り込み方が違う。
自分の欠けているものをアピールしようとする。
例えば、こんなことに自信がないとか、いやあ彼女に振られてしまってとか。
韓国では、たとえ自分が振られたことがあったとしても、自己アピールする時は、絶対振られたという言い方はしない。
振られたということは、いかにその人に欠けたところがあるかということになるわけだから。
それが、日本の男性は好感を持った女性に、自分の足りない部分をちらっ、ちらっと見せようとする。
もちろん、どこかで自分の重要さも見せようとするが。
それが、みじめに見えて、不思議でしょうがなかったので、日本の女性に聞いてみた。
そしたら、韓国の男性のようなアピールの仕方はきつすぎる、あんまり完璧な男性は強すぎるし、入り込む余地がないと。
隙間があるほうが、いいじゃないかと、みんな言う。
ショックだった。
それと、もう一点。
韓国では、男性は気に入った女性がいたら、とにかく積極的に誘う。
例えば、道で見かけていいなと思ったら、乗り換えをしてでもその女性の家までついていったりする。
女性はたとえ気に入った男性であっても、ずっと断り続ける。
断るところに、女性の価値がある。
女性は、相手をけなしたりして強く拒絶するし、男性は卑屈なくらい言い寄り続ける。
韓国のことわざに、「10回たたいて折れない木はない」というのがある。
10回たたいていれば、どんなに気の強い女でも自分の女になりますよと。

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by epokhe | 2004-10-21 23:31

「雨のボキャブラリー」一挙公開

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雨ってエロティック、ということを再認識した。
雨のエロティシズムについては後半必読。

昔の文部省唱歌「四季の雨」によると、秋の雨は、「木の葉木の実を野に山に、色様々にそめなしておりおりそそぐ秋の雨」と、歌われている。

以前の記事;さみだれ/黒澤明『羅生門』/墨でも、
日本人の、雨に対する感性の豊饒さを述べたが
今度は秋バージョンで・・・。

秋雨、秋霖、洗車雨、御山洗、秋時雨、雨月・雨夜の月(月の見えない日の雨)、時雨(しぐれ)・・・。

この他にも色々あるのだろう。
秋とは関係ないが、雨に関するボキャブラリーを以下に。

雨障り(あまざわり):雨で外出できないこと。
↑「障り」っていうニュアンスがいい!

雨を帯びたる桃桜(桃李):李や桃、桜などが雨に濡れて美しいところから美しい女性に用いられる言葉。
↑この艶やかさは、「水も滴るイイ男」の比じゃないね!

巫山の雲雨(ふざんのうんう):男女が夢の中で結ばれること。
↑雲と夢の雨!夢の中で結ばれてみたーい!

雨淫(ういん):雨の降る度がすぎる。
↑あはは!やっぱ度が過ぎると「淫」になっちゃうのね!

雨香(うかう):雨がかおる。
↑雨が「香る」ですって!ステキ過ぎ!

雨血(うけつ):血を雨のようにふらせる。
↑え゛っ!どうやって?!私は雨血することが果たしてあるのだろうか。

雨風うどん(あめかぜうどん):甘い物も辛い物も、どちらも食べること。
↑「私は今日、雨風うどんしました!」みたいに使うのか?!

雨意雲情(ういうじょう):男女の情をいふ。
↑雨の意と雲の情!伝わるもんがある!

雨雲衣(ううんのい):雲雨に濡れた衣。情事のあとの衣服をいふ。
↑雲雨に濡れた情事の後の衣服か。突っ込み所満載だけど抑えておこっと。

雨雲心(ううんのこころ):情欲をいふ。
↑雨雲⇒雨⇒水⇒液⇒体液⇒沸騰!


さて、こんな所で終わりにしておこう。
とにかく、雨もメディアなのだということ。

Cf.私というメディア
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by epokhe | 2004-10-21 02:47

或る発言から見える像

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こんなことをここで書いていいのか分からないが、
最近、頭に響き渡った発言を・・・。

私は高校3年生と中学1年生の家庭教師をしているのだが
その中1の男の子が只今、思春期突入の気配(既に?)。
彼をT君としよう。
T君は、松浦亜○が大嫌い。
T君だけでなく、彼の家族は全員嫌いらしい。
「つん○」を、「悪の権化」と呼んでいる。
松浦亜○が「午後の紅○」のCMに出演するようになってから
彼の家庭では「午後の紅○」を購入しなくなったという。
その話をしている時、私が、
「T君の家族は皆、松浦亜○が嫌いって言ってたよね。お母さんもお姉ちゃんも。あ、お父さんは?お父さんとかは好きそうじゃない?」
と聞いたところ
「あの人は、家庭にカウントされてない。」
と、T君がぼそり。
そっか、そっか、そういうものだよね。
それが現代というものだ。
世の父親というのは、多かれ少なかれその種の表象を帯びている。
断っておくが、T君というのは
他に類を見ない程の純粋さと素直さを保持した少年である。
イマドキ珍しいくらいにスレていない子だ。
それでも、こういう発言が出てくるのだから、
恐らくこんなもんなんだろうと考える。
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by epokhe | 2004-10-20 00:41
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