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2004最終章

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年末の都心は人が減る。
街が閑散とする。
12月30日22:30、私が利用する地下鉄は、一車両に2、3人しか乗っていない。

2004年、皆様お世話になりました。
2004年、私は、今までで最も主体的に生きられた1年で御座いました。
(今までっていっても、大して生きてきたわけじゃないけど。)

私と関わりを持ってくれた多くの存在者に乾杯を。

皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
2005年にお会いしましょう。
See ya!
Au revoir!
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by epokhe | 2004-12-31 00:22

サラリーマン

生徒のT君(中学一年生)の冬季休業中の課題の1つに、ある職業の人に話を聞いて、職業新聞の記事を書く、というものがある。

T君:「記事書く時に、職業の欄に、『サラリーマン』て書いちゃいけないんだって。」

えぽけ:「何?サラリーマン?」

T君:「うん。サラリーマン。日本語に直すと『給料男』。」

えぽけ:「ぎゃははははっ!給料男!いーねー、それ!確かにそうだねー!でも、何でいきなり日本語に直してみちゃったの?そう教わったの?」

T君:「サラリーマンは給料男ってことだから、職業の欄にサラリーマンて書いたら、印象が悪いから駄目なんだって。」

えぽけ:「ぶわはははははっ!『印象が悪い』!?印象が悪いんだ!?面白いなー、ほんと。そっかー、じゃあ、サラリーマンとは書けないね。」

T君:「うん、給料男って意味で、失礼に値するし、印象が悪いからね。」

えぽけ:「あはははっ!くくくくくくっ!ひ~~~。おかし~~~。失礼に値する!サラリーマンは失礼に値するんだ?」


T君の身近には「サラリーマン」がいないかもしれないが(T君のお父上は某出版社の社長だし)、世の中の大半は、「失礼に値する」「印象が悪い」サラリーマンなんですぞ。
今年最後も、また笑いを提供してくれてありがとう。
さっすが、T君。
来年も冴えた話題を頼むぞよ。
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by epokhe | 2004-12-30 23:34

emergencyで仕事をする人

9・11での活躍と貢献を契機として、fire fighterという職業は、ますます人気の英雄的な職業となった(とりわけ、アメリカ合衆国で)。
子供達の憧れの的。

だが、そんなヒーローのように愛と勇気に満ちた強いfire fighterでも、9・11の背景では、多くの消防士がCISに罹った。
勿論、9・11に限った事ではなく、緊急事態に直面する職業を持つ彼らには常につきまとうものがCISである。
CISとは、Critical Incident Stressのことで、日本語では、心傷性災害ストレスと言われている。
災害、事故等の救援者(消防職員、自衛隊、警察官など緊急業務従事者)にみられる心の傷であり、つまり、救援者のPTSDと言える。

emergencyで仕事をする人には、共通する特徴があるとされている。
emergencyで仕事をする人の特徴を、以下に挙げる。

・行動中心
・感情抑圧
・いつも瀬戸際
・自分の弱さを否定
・泣かない
・obsessive ⇒ やらねばならない
・成功、達成志向型
・失敗を認めたがらない
・完璧主義
・家族主義、同族主義  cf.)同僚も大切にする
・救助、援助活動に献身的
・家族や職業に対して忠誠 ⇒ それ以外は信じにくい傾向
・頑張り屋
・必要以上にリスクを冒す
・いたずら、誤報に腹を立てる
・退屈しやすい ⇒ risk-takingな趣味(high risk hobby)を持つ
・認知的に柔軟性に欠ける ⇒ 手順通り
・性格の中に色んなものが同居  ex.)強さと優しさ、決断力と細心の注意、etc.・・・

以上が、緊急業務従事者に見られる特徴である。


そして、何を隠そう私の祖父は消防署長だった。
まさしく、上に挙げたような特徴を備えた、強さと優しさの同居する祖父だった。
私が幼い頃から、消防署長の祖父が身近に居たため、大学において「emergencyで仕事をする人の特徴」について学んだ時、私は誰よりも納得したのだった。
祖父はCISとは無縁だったのだろうか。
黒焦げの人間の焼死体なんて、日常茶飯事。
焼け焦げた人間の臭いというものは、それはそれは耐えられないものだと聞く。
硫黄が燃焼すると、とてつもなく臭いのだ。
他にも、グチャグチャの人間の死体を幾度となく目にしてきたはずだ。
手足も内臓も、何もかもグチョグチョにされたような。
緊急事態の仕事現場で凄まじい死体を目の当たりにし、その場で「ゲーゲー」吐いている新人消防職員を、祖父は何人も見てきたという。
慣れない若手の消防職員は、暫く「肉」が食べられなくなるという。
特に、「ミンチ」。
挽き肉系の肉を見ると、嘔吐するという。
若いうちは、恐らく仕事どころではないだろう。


常に強くて、成功・達成志向型で、完璧主義で、家族・同胞・同僚・職業に対して忠誠で、救助・援助活動に献身的で、頑張り屋で、リスクも厭わない、そんな祖父に、改めて心から敬意を表し、今年を終えたいと思う。
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by epokhe | 2004-12-30 18:18

「面白い」・ユーモア・笑い・アイロニー

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「面白い」とか、ユーモアとか、笑いとか、アイロニーとかって、私は好き。

ユーモアのセンスがある人というのは、客観的な事物を完全に自分と同化させていない人である。
つまり、距離を置いている。
自分は外にいて自分を見るような感じ。
人に向かって、私が自分で自分を茶化す時、まさにそんな感じだ。
面白さとかユーモアとか笑いとかアイロニーは、必要なことである。
どっぷり浸かって距離を置いて見ることができない人は、決して良くないと思う。
さめた部分を残しておいて、距離を置いて見る目がなければ、自分を失っていく。


Cf.そういえば、以前にもユーモアについて書いていた。⇒ユーモア
(半年以上も前に書いたものですが・・・。)
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by epokhe | 2004-12-29 23:58

写真論

写真の伝える情報というのは、実に曖昧である。
見る者によって実に様々な解釈がなされ、多様な意味合いを含み得る。
1つの写真から色々なカテゴリーが生まれる。

写真が伝えるものは一瞬の過去であり、決して現在につながらないものである。
そこには常に2つのメッセージがある。
1つは、写真に撮られた事柄に関するメッセージであり、もう1つは、時間的不連続に関する一種のショックである。
写真が撮られた時点とそれを見ている現在という時点は全くつながらず、深淵が存在する。
時間的ギャップがあるにもかかわらず、それを考えずに写真を使う。
多くの場合、第2のメッセージ(時間的不連続に関する一種のショック)を無視し、また、それほど意識しない。
ただし、写真に写っている人・事柄について我々がよく知っている場合は例外である。

写真は、確かにそこにあったもの、少なくとも、そこにあったものの外見を記録する。
しかし、外見というのは、実際はほとんど何も語らない。
多様な解釈が可能だから。
情報伝達手段としてリダンダンシーが大きすぎる。
つまり、「欠陥情報」。
にもかかわらず、外見に対する反応が大きいのは、それが本能的なものだからである。
例えば、性的刺激や色で起こされる刺激。
ポルノなどは溢れんばかりの写真で埋め尽くされている。
写真は、存在性を示す最も確信を持たせる手段の1つである。
我々と感覚的に関係を持つ、存在に関する認知。

だが、それにもかかわらず、写真はそれを撮った人がその瞬間に考えた物語のうちの一瞬を示すため、やはり曖昧である。
曖昧さは残り、情報媒体として不完全なものである。
そこには、ギャップと時間的不連続性と孤立した時間があり、記憶の中の時間と異なる。

「意味づけ」は、それが統合しているものの中で発見され、発達されることなくして存在し得ない。
「文化」とは意味の体系であり、「生活」は常に意味づけを行っており、瞬間的なものではない。
「連続性」にはコンテクストとストーリー性がある。
「情報」はそれ自体意味をなさない物質である。
情報を要素に分解・処理するコンピューターからは、「意味づけ」は出てこない。
「意味づけ」には、知られていないものへの反応も含むからである。
写真を意味深いと考えることは、それが撮られた瞬間を拡大することに他ならない。
過去・現在・未来へと。

写真は、撮るべき瞬間の選択、という点で、小説・絵画・演劇といったメディア手段よりも「意向性」が弱い。
ドラマチックなものでも、写真そのものの意向性ははっきりしない。
したがって、補う必要があり、その多くは言葉でなされる。
例えば、写真には必ずキャプションが付く。
言葉と結び付くことで、写真は極めてパワフルなメディア媒体になる。
一瞬の確信さが、言葉に権威を与えるからである。
それは教条的な確信になり、信念になってしまう。

写真と絵画を比較してみると、写真は一瞬の時間であり、絵画は真のイメージの翻訳である。
写真は全ての対象物に平等な時間配分であり、絵画は全ての対象物に違った時間配分である。
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by epokhe | 2004-12-28 17:10

冬祭りリポート

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今日、友人Mと都内某神社のお祭りに行ってきた。
正確に言うと、通りすがりに寄ってみた。
人がいっぱい!
参列がズラーリ!
私達は、出店一つ一つに対して、二人でコメントして歩くもんだから、テレビのリポーターのオネイサンに間違えられた。
訪れている人の大体が中高年の方々なので、ただ目立っただけだろうか。
一歩進むごとに、周りの人や店の人に色々と話し掛けられる。
ゆずのいい香りが漂う。
お好み焼きやたこ焼きの、あの独特の匂いがチョッピリ胃を刺激。
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500円のハイテク手相占い。
鈴カステラ。
ゆずあめ。
美容に良いくず。
カレンダー。
招き猫。
おでんとラムネ。
きんかん。
干支グッズ。
お好み焼き屋。
ソーセージ焼き。
たこ焼き屋。
銀杏(ぎんなん)。

そして、銀杏屋さんのお髭のオジサンが私達を引き止めて、ヤケに丁寧に長々と祭りの説明をしてくれた。
祭りの説明から始まり、社会学から環境問題まで、もう悉くご丁寧にお話(講義並み)してくださった。
あまりの長さに、友人Mはあくびをしていた、堂々と(←失礼だぞ)。
私は人と話す時に相手の目を見るため、オジサンは私の目ばかり見ていて、友人Mのあくびには気付かなかった模様。
別れ際に、「大学2年生かい?顔に書いてあるよ。」と言われた。
わお、うちら19歳(or20歳)に見えた?
そんなにバカっぽいかしら?
友人Mは、「若く見えるってことだよ♪」と単純に喜んでいた。
ま、いっか。
この銀杏屋さんというのは、ただ銀杏を売っているわけではない。
銀杏は、「なん(難)」を逃れるという意味で縁起物であり、銀杏の一粒一粒の殻に、オジサンが筆で器用に絵を描いている。
裏に名前も書いてくれるそうだ。
踊るような絵で、それはそれは素敵!
オジサン素晴らしいですよ。
何十年も描いていらしたんですよね。
職人技です!
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というわけで、一陽来福!
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by epokhe | 2004-12-27 17:51

寺山修司と三島由紀夫 ~抵抗・フォルム・芸術・文化~

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『思想への望郷 寺山修司対談選』(講談社文芸文庫)は、良い!
私のブログの読者の方には寺山修司が好きなお方が結構いらっしゃるので、お読みになった人もいるかしら。
購入した当時、レジで
「1260円です。」
と言われた時、騙されたかと思った。
「文庫なのに、そんな高いの?!」
値段も見ずに、「寺山修司」ってだけで速攻鷲掴みしてレジにダッシュしたもんだから。
確かに、この講談社文芸文庫シリーズはどれも高かったよね。

これには7人の思想者との対談が収録されているのだが、その中から三島由紀夫との対談「抵抗論」より一部抜粋。
(以下、寺山修司:寺,三島由紀夫:三)
********************************

寺:しかし文化の概念が変質していくということは認めざるをえないでしょう。

三:絶対に認めないです。いくら変質したって、フォルムの形成意欲は変質しない。これは芸術の宿命でしょう。

寺:フォルムを要求する心象は変わらなくても、文化の形態そのものは変わります。変わるから形なのだ、と言えるでしょう。

三:それは絶えず変わっていくでしょうけどね、単なる流行というか表面現象にすぎないでしょう。

寺:不滅なんてない。

三:不滅というのはフォルムですよ。

寺:たとえば母親と息子がやることも文化だとはお考えにならないわけですか。

三:もし、それが倫理化されれば文化になるんだよ。

寺:フリー・セックスがただ「解放」に向かっているあいだは非常に軽薄ではあるけれど、しかし母親と寝、兄妹と寝ることが文化になるのは当然の成り行きだと思う。

三:あれ、それはぼく認めるよ。ただ、あなたの話聞いてると、寝てもいいじゃないかと・・・・・・。

寺:いや、寝るべきだといってるんです。

三:それならフォルムなんだよ、“べき”ということは。赤塚不二夫の漫画じゃないけれど、“べし”じゃなきゃ芸術じゃないんだって。“寝るべし”と言えば、その瞬間、芸術になるんだよ。

寺:ぼくは寝るのは当り前だ、と言ったんです。それは謙虚に言ったので、“寝るべきである”と言ったんですよ。それが抵抗の拠点になりうるかです。

三:“べき”でなきゃ抵抗の拠点になれないな、新左翼にも全般的にいえることだけど。
********************************

「抵抗論」では他にもいくつかのテーマで二人が対談しているのだが、そのやり取りがホントに面白い。
寺山修司と三島由紀夫は基本的に話が噛み合ってなくて、いきなり話が飛んじゃったり、ヤケになったり(?)もするが、言っちゃ悪いけど、三島より寺山の方がずっと「うわて」である。
あと、三島のボディビルの話とか、ホントうける。
三島は音楽に合わせて自分の胸の筋肉をいくらでも動かせるらしい。
体の中から不随意筋をなくそうというのがボディビルの原理だって。
だから当然のことながら、三島は「偶然」が嫌いで絶対に信じず、「必然性」が神。
それに対し、寺山は、必然性というのも偶然性の一つだと言う。
ぼくらは偶然的存在だと。
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by epokhe | 2004-12-23 16:50

ハーレム呑み

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近頃、忘年会が連日連夜の如しで、毎日毎晩、たて続けに呑んでいる。
呑まれては、いない、多分。
今の所・・・。

昨晩は、ゼミ飲みだった。
うちのゼミは珍しく男の子が少なくて、男2人・女8人である。
飲みの最中も、女の子が男の子に対する発言は、
「数少ない男の子なんだから!」
が、枕詞。
男の子は、
「俺ら、希少価値付けられてる・・・。」
と複雑な模様。
うちのゼミの女の子は皆、明るくてキュートな子達ばっかだし、彼ら2人にとっては「ハーレム」だと思いますぞ。

岡崎京子が、
「最近の女の子はカワイイけどチャーミングじゃない。」
と、昔言っていたが、うちのゼミの子達は、カワイイだけじゃなくて、「チャーミング」だと感じた。
つくづく、君ら2人は「ハーレム」状態だと思うよ。
今度、皆と会うのは1月の新年会だ。
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by epokhe | 2004-12-22 18:19

くそまじめ破廉恥

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この頃、「まじめ」というのが厄介な現象になっている。
「まじめ」とされている人が、破廉恥な事件や違法な行為や不道徳な行為をしている。
どうしてまじめな人がそんな事を?という素朴な疑問がまず生まれる。
このことは、よく考えなくてはならない。
そもそも、「まじめ」と評価される人間の在り方自体に問題がある。

一般に言われる「まじめさ」というのは自由の観点から離れている。
自分以外の客観的な何かに合わせて行動している人が、「まじめ」と言われる。
そういった人は、融通性が利かない。
頭がカタイ。
自分の思考法を変えられない。
決まったことに自分を合わせているだけである。
サルトルの言うところの「くそまじめな精神」。
くそまじめな人はロボット的な動きをし、そこには自由な私というものがない。
自主的な判断ができず、自由な生き生きした人間的な動きがない。
そういうくそまじめな人が、学校でも会社でも、しばしば高く評価される。
これには管理者の側の問題もある。
ルールにだけ当てはめておいて、中身はどうでもいいという、管理の立場の問題。
くそまじめな人は自立した判断ができないので、違法行為をしても案外平気な顔をしているのである。
とっても不気味なくそまじめな精神。

このように見てくると、「まじめ」という言葉には両義性がある。
ルールだけに従って行動しているロボット的なくそまじめは避けるべきである。
くそまじめは、あらゆる意味で社会を硬直させる。
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by epokhe | 2004-12-20 23:10

ethnic cleansingと戦争広告代理店

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「民族浄化」(ethnic cleansing,エスニック・クレンジング)という言葉がある。
民族浄化とは、ある地域から異民族を一方的に排除し、住民構成の純化を図るもので、強制移住や追放、住民交換のほか、大量虐殺、同化など様々な手段が取られる。

ethnic cleansing(エスニック・クレンジング)というのは、恐るべき言葉である。
これは、アメリカ(戦争広告代理店)によって命名された。
一連のユーゴ内戦の、戦争地帯で名付けられたのではない。
セルビアに介入しようとしたアメリカが、広告代理店に名付けさせたのだ。
アメリカの某広告代理店が命名した恐るべき言葉。
民間の広告代理店が、企業や商品のイメージを変えるように、戦争のイメージを変える力。

そういえば、電通も、陸軍中野学校の生き残りがつくった組織だった。
電通のビルには秘密の階もあるし。
昔、田原総一郎もそんなことを書いていた。
田原総一郎が、今よりまだマシだった頃に。
電通の知人に訊いても、「そんなの、嘘だよ。」と言う。
当然だ。
内部にバレたら終わりですから。
まずは仲間から騙せ、というのが陸軍鉄則であろう。
だから、知人の言葉も信じない。

『ボスニア』という映画では、「鬼」が戦争の象徴として描かれていた。
これで、電通の「鬼十則」も、なるほど納得できた。
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by epokhe | 2004-12-16 23:45
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