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東大仏文科卒男

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澁澤龍彦は、東大仏文科を卒業しているが、東大仏文科の男(←こういう括り方はズルイけど)は何とも言えない雰囲気を持っている。

大学で教わったフランス語のクラスの先生も東大仏文科卒で、彼はクラスの人気者だった。

まず、若い!
30代前半。

そして、オシャレ!
まるでパリジャン。

顔がカワイカッコイイ!
学生に見間違える。

スタイル良すぎ!
スラリと伸びた脚。

性格が超イイ!
癒し系。


というわけで、女の子からも男の子からも大人気なのは当然で、皆、彼のことを苗字でなく名前で呼んでいた。
見た目が若々しいので、教室でも先生がどこにいるのか分からないくらい、学生に溶け込んでいた。
クラコン(クラスコンパ)に呼んだら、ちゃっかり来てくれて、クラスの男の子に肩組まれながら、いつもの調子で喋ってて可愛かったなー。
そのクラコンで衝撃的な事実が明らかになった。
先生の結婚相手はなんと教え子!
つまり、私達のいくつか先輩にあたる女性と結婚していた。
修論指導していた女生徒らしい。
もちろん、結婚したのは彼女が卒業してからみたいだが。
そして、先生には子供もいる(カワイイ男の子)。
クラスの女の子達は皆、
「あ゛~~~。惜しかったねー。あと一歩早ければ、センセと結婚できたのに。」
と口々に騒いだ。
一歩遅かったです、ハイ。
センセは昨年一年間パリに行っていて、今年帰ってきたのかな、確か。


あ、澁澤龍彦の話をしようと思ったのに、フラ語の先生ネタになってしまった。
まあ、いいや。
どっちにしろ、澁澤龍彦なんかより断然健康的でお茶目でカッコイイ先生でした。
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by epokhe | 2005-01-31 17:20

あの90年代に10代のすべてを消費した作家

少し前に、生協の書籍コーナーで講談社ノベルスの特集がされていて、そこで初めて「佐藤友哉」という若い作家を知った。
(サトウトモヤだと思ったら、サトウユウヤだった。)
デビュー作でメフィスト賞を受賞しており、「あの90年代に10代のすべてを消費したいちばんはじめの作家」とされている。
やはり、あの90年代に10代だった人間はそれ相応の独特さを持っている。(あ、私も一応かぶってる。というか、90年代はほぼ10代として生きた。私の10代は90年代とミレニアムと新世紀初年。)

講談社ノベルスといった、この手のジャンルの本は、今まで全く好みでなく、手に取ったことすらなかった。
だが、友哉氏の本のページをパラパラとめくってみると、表現がなかなか面白い。
これを10代で書けるとは大したもんだと思う。
ただ、すっごく「頑張っちゃってる」感は拭えない。
吟味に吟味を重ねた言葉なんだろうな、というのがいくつも目に付く。
特に会話の部分で使われている表現は不自然。
まあ、そこにまた現実離れした頭の良さを感じて面白くて笑ってしまう。
彼の事だから、恐らく故意にそうしている。

デビュー作は『フリッカー式』というもので、
第一章>>>>取り敢えず足を滑らせて
第二章>>>>そこはかとなく動いては
第三章>>>>まだそこに目を向けずに
第四章>>>>間違ってみせた
第五章>>>>強がってみせた
第六章>>>>繋がってみせた
終章>>>>||||||||||||||
といった構成。

佐藤友哉に、法月綸太郎はこう熱賛を浴びせる。
≪――(前略)―― 矮小化された現代の物語に片っ端から唾をかけ、黒い哄笑とともにずらかる「極東のボリス・ヴィアン(嘘)」。若さっていうのは、醜いもの全部に鼻歌交じりでオサラバできる能力だ。≫
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by epokhe | 2005-01-30 15:42

美術/ダリ/表面

美術というのは「イントロ」があって鑑賞した方が楽しめる。

一方、演劇に関しては、あまり前触れなしに観た方が、そのままを感じることができる。
演劇に詳しい人と観に行った時も、その人に
「観る前に、私に軽くイントロダクションしてよ。」
とねだったら、
「何も予備知識なしに観た方がいいですよ。」
と言われた。

それはさておき、美術の話に戻るが、これを最近つくづく感じたのは、「ダリ」の作品である。

蝿は咬みつくとき皮膚だけでなく、内部まで傷つける。
ときには、シワの中にまで忍びこんだりもする。


と、『蝿礼讃』の中でダリは述べている。
ダリの世界は事物の表面への猜疑にあふれている。
ダリの美術を貫いているのは、「表面への懐疑」ということである。
ダリは、「表皮を引き剥がして」からでないと、「見る」という行為ははじまらないのだ、と主張する。
ダリの美的世界を一口で言うならば、「内部によって、表面が犯されつづける」ということのようだ。

「私は自分の内部に自分を聴きつづけるかわりに、外部に自分自身を聴きはじめるようになるだろう。その総称を以て私は作品と名づけたい。」
(1953年・ダリ)
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by epokhe | 2005-01-29 01:47

口述試験/元気

論文の口述試験(口頭試問)があった。

O教授に、

「相変わらず元気そうだね。寒いのに元気そうだね。冬なのに元気そうだね。」

と、「元気そう」を3連発された。
年取り始めたどっかのオス犬みたいなニコニコ顔で言われても・・・。
しかも、「寒いのに」って何?
「冬なのに」って一体・・・。
私、そこまで「元気そう」に見えるのだろうか。
明るい笑顔を振り撒き過ぎたか。
愛想良くし過ぎたか。
多分、他の人と比べて、一番「感じ良く」してたんだろう。
媚びるが勝ち。
こういう時だけは巧く媚びておこう。
何が「損」か、何が「得」かは、重々承知しておりますから。

まあ、どうでもいいけど
「A」ください!!!
お願いしますー。
頼んだよー!
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by epokhe | 2005-01-27 16:45

ダンディーティータイム

本日は、某広告代理店代表取締役社長の某氏とお茶してきた。
お茶です、お茶、あくまで。
某氏は他にも色んな所の理事長だったり、モデル事務所をやっていたり、ほんとスゴイ。
ここまできちゃうと、基本的に暇なんだろうね。
平日の昼間っから、こうして遊んでられるんだから。
苗字からしてお金持ってそうな人である。
加えてダンディズムな風貌、色男。
私のタイプではないが、こういう男性が世の中で言う「モテる」男の象徴的人間像なのだろう。
次回は、某社○○部の部長を交えて食事することになっている。

ふう、何だか最近プライベート曝露的記事になってきていてマズイだろうか。
関係者の方々、申し訳御座いません。
固有名詞は公表致しませんのでお赦しを。
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by epokhe | 2005-01-26 18:01

「攻めたらどうするか?」

戦争に対する方針として、
「攻められた時どうするか?」
についてばっかり議論していても仕方ないし、ちっとも生産的でないと思う。

「攻められた時どうするか?」から、
「攻めたらどうするか?」
に論点を変えなくては駄目。
歴史的に見ても、「攻めた」時に攻められている。

「攻められた時どうするか?」というのは、歴史から学ばない態度である。
「攻めたらどうするか?」を考えるべき。
とにかく、過去を見たって全て「攻めた」時に攻められてるんだからさ。

我々は、戦争責任・戦後責任を経て、「戦前責任」を問われ始めている。
「戦前」ね、前、まえ。
これから始まる戦争、これから始まってしまうかもしれない戦争の、前の責任。
つまり、今。


あー、これは男女関係にも言えるかも。
「せめられた時どうするか?」から「せめたらどうするか?」へ。
せめた時にせめられているのか。
我々は、性責任・性後責任を経て、これからは「性前責任」を問われる。
これから?
いやもう既に?
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by epokhe | 2005-01-24 13:19

utilitarianism

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功利主義って分っかりやすい。
功利主義者の人間観は、

「快を求め、苦を避ける」

あー、分かりやすい。
分かりやすいということは、説得されそうになるということである。
分かりやすくて説得力を持つように思えるから、功利主義は現代の社会でも影響を及ぼし続けている。
もちろん、「功利主義とは豚の思想だ」という批判もすぐにあがるけど。

じゃあ、その「快」とか「苦」ってどうやって計るの?と思うが、彼らによると、「快楽計算」というものによって計るらしい。
つまり、快苦は量に換算できるらしい。
計算するには共通の尺度が必要だけど、その点はどうするの?と疑問が湧くが、彼らによると、7つの基準によって計算するらしい。
強さ・持続性・確実性・遠近性・多産性・純粋性・範囲の7つ。
ちなみに「範囲」っていうのは、「なるべく多くの人に」という意味。

時々、功利主義を「利己主義」と一緒に考えている勘違いの人がいるが、これは誤り。
「功利」は「利己」ではない。
「功利」は、なるべく範囲の広い快楽を意味するから、ちょっと考えただけでも「利己」とは違うってのは明らか。

もちろん、功利主義には難点もある。
まず、結果主義の問題。
「結果」というのは、どれかを選んで生まれるわけだが、例えば2つから1つを選ぶ場合、その結果は、両方やって比較してみなければ分からないはず。
あと、公正な配分の問題。
「『少数の人々』×『巨富』」と「『多数の人々』×『ほどほど』」という両者の功利性がイコールであった場合、功利主義者はどちらが良いか選べないことになる。

功利主義の批判としては、自由の問題とか主体性の問題とかあるけど、中でも一番は、「結果」は誰が判定するのか、ということだと思う。
幸福を増大させる行為・規則に功利性がある、と判定するのは、結局は知的エリートがすることになってしまう。
道徳は知的エリートだけのものではない。
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by epokhe | 2005-01-23 14:16

TRACES : Body and Idea in Contemporary Art

東京国立近代美術館でやっている、
「痕跡――戦後美術における身体と思考」に無性に行きたい。
私、こういうの大好き。
何故だろう。
血が騒いで仕方ない。
絶対に行こうと予定している。

やっぱり時代は、
「思考する身体」と「身体する思考」
ですよ。
というのは、私の勝手な言い草に過ぎませんが。

とにかく、行かなきゃ始まらない。
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by epokhe | 2005-01-22 15:05

フェミニズム/恋愛

ご要望にお応えして、フェミニズムについてサラリと述べてみる。

まず、私は女だがフェミニストではない。
フェミニズムには、欠けた部分があると思う。
フェミニズムは主に、近代以降及び現代の男女差別を批判する理論武装に基づいている。
そして、その起源自体が問題である。

フェミニストの言う「男性中心文化体制」を、なぜそんなに長い期間に渡って、女性達は許容してきたのか?
「何世紀にも渡って続けられてきた男性中心文化体制」と、フェミニストは今になって主張しているが、これだけ長い年月があれば、それまでだって主張しようと思えばできたはずである。
いくらでも覆せたに違いない。
だが、女性達は、その体制を自ら生き生きと選んできたのではないか。
女性も共犯者である。
ある意味では、その方が楽だからそちらを選んできた。
その方が、生きる上で色々な「楽さ」がある。
昔であっても、男性が狩猟や戦闘に行き、女性が家に居るという生活体制は、女性の方が少なくとも生きていられる可能性が高い。
その方が死ぬ確率は少ない。
楽な点は多いであろう。
ただし、これは「集団」や「類」としてそうなってきた。
自由な理性ではないかもしれない。
「社会的な立場における男女の平等」を主張するのがフェミニズムである。

確かに、女は「弱者」ではないと思う。
男女は全く同等の能力を持っている。
よく、「精神的には女の方が強いけど、肉体的には男の方が強い」と言う人がいるが、精神面も身体面も同等だと思う。
個体レベルでみれば、明らかにそうである。
女子プロレスラーや女子レスラーに勝てる男性は多くないであろう。
女性のスポーツの歴史はまだ日が浅いが、女性だって鍛えれば相当強くなれる。
弱い男性もいる。

フェミニストは同性愛を根拠に持ってくることがあるが、それは少々奇妙だ。
恋愛に関しても、男性が「愛した相手がたまたま女性だった。」と言うのはかなり欺瞞だと思う。
異性だから愛したのである。
性が根本にある。
その点では、同性愛も異性関係である。
しかし!こういう発言は、現代では「イケナイこと」になっている。
少し前は、妊娠中の母親のストレスが原因で同性愛の子供が産まれる、ということが正当に述べられていて、そのための科学的・医学的研究も行われていた。
事実、終戦末期にドイツで生まれた子供達には同性愛が圧倒的に多かった。
だが、今は量的な問題として語ることがタブーになっている。
問題とすること自体がタブーになってしまっている。
十分問題とするべきだし、研究すべきであると思う。
医学的な研究も議論もタブーというのは憂うべき事態だ。
ある空気・雰囲気ができてしまうと言わせない、というタブーは他にも多くある。
タブー覚悟で言うならば、同性愛者は不幸である。
それは根本的に自分自身に不調和があるからだ。
外は男性で中は女性、外は女性で中は男性という、この根本的不調和が幸福であるはずがない。
自然に生きられないとしたら不幸である。
性同一性障害という言葉もある通り、それは障害・不調和なのである。

性的なものは内なる自然。

恋愛は決して中性的な関係ではない。
差異は残しておいた方がワクワク感があるし、潤いがある。
差異を無理矢理消去する必要がどこにあるのか?
差異を消去することで、我々は果たして幸せになれるのか?
差異がなくなったら、それは我々の生活にとって快いことではない。
楽しみが減るとも言える。
勿論、男女関係一般が、そう一般に愛という関係には至らない。
男女関係の限られた一部が恋愛になる。
また、浮気とか不倫という言葉が横行している昨今だが、人間はほっとくとそうなる。
人間なんて自然にそうなる。
そのことは、理性で十分承知していなければならない。
単に理想だけあげて、それから外れるものは追い出すという窮屈な関係を選択した男女は、果たして前提としてこれを了解しているのか。
選択したからには当事者性と責任性を持たなくてはならない。
気付いた時には遅し、という人々が多いのではないか。
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by epokhe | 2005-01-21 13:53

働きマン

安野モヨコの『働きマン』を読んだ。

帯コピーは、
「僕らはみんな
 働くために生きている!」


「働きマン」の編集者(週刊誌担当)である松方弘子(28)は、

働きマンになると血中の男性ホルモンが増加して

通常の三倍の速さで仕事をするのだ

その間 寝食恋愛 衣飾衛生の 観念は

消失する



Cf.安野モヨコ関連記事は他にこちら⇒『さくらん』
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by epokhe | 2005-01-19 23:07
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MAIL: epokhe@excite.co.jp


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