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奥田瑛二監督『少女』

奥田瑛二監督の『少女』という映画、観たことありますか?
宜しければ感想をお聞かせ下さい。


Cf.本当は公開したくない貴重な話
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by epokhe | 2005-04-17 15:19

福祉教育って何だ?

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高等学校における福祉教育の実態調査を依頼された。
なんで私がこんなことを…。
全く私の専門分野ではないことに、時間を割いて原稿を書いてプレゼンしなきゃいけないなんて、何だか割に合わない・・・。
キツイ・・・。
しかし、実態を知るというのは大切な事で、調査してみると意外と凄い。
今まで私は、高校なんて普通科がフツーだと思っていたので、高校で福祉科や社会福祉科があるなんて、あまり知らなかった。
福祉科や社会福祉科では、高校卒業時に、介護福祉士国家試験受験資格と訪問介護員(ホームヘルパー)1級の資格が得られるという事実を知り、「まあ、なんて実践的!!!」と感心した。
勿論、私は高校の普通科に通っていたので(「普通科」などと、わざわざ言うこと自体が不自然なほど、フツーに進学のための高校だった。中高一貫だったため、中学時代もしくは小学校時代から、高校卒業後は大学進学だと決め付けていたし、それが当然だと思っていた。)、「福祉科」とか考えられない。
ただただ、偉いと思う。
相当凄いと思う。
だって、15歳の少年・少女が、「自分は福祉科に進もう。」と考えることそのものが尊敬に値する。
高等学校福祉科について調べるのは置いといて、そもそも、そこに進学した高校生らは一体どのような価値観というか自我というか自覚というか態度を持った人間達なのかを、まず知りたい。
まあ、それを明らかにするのは時間がかかるので、今回は問題提起だけして踏み込まないようにするが、なかなか興味がある。
職業訓練的な教育というのは、まさにこういう「福祉科」とかにあるんだろうけど、どうして若い少年少女がその時点で、ごく限られた知識と技術の方向性に自らを決定付けられるのだろうか。
とにかく、かなり感心してしまうけど、ちょっと順番が違うんじゃないの?ってな気もする。

というわけで、高等学校福祉科や、福祉科以外の学科における福祉教育の実際について、何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともご協力ください。
ちょっとしたコメント等、何でも結構です。


(写真:Y・Oからの写メ)
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by epokhe | 2005-04-16 21:19

大林宣彦監督への質問受付中

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大林宣彦監督に聞きたいこと等ございましたら、バンバン書き込んでください。
宜しくお願いします。

理由:映像・映画界を支える人と。
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by epokhe | 2005-04-16 00:13

April & People from every walk of life

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新生活や人の動き。
4月は全国的に出会いの季節で、あらゆる所で新たな出会いが生まれている。
私の周りにおいても、それは例外ではない。

人には何らかの種類というものがあって、こういった仕事をしていればこういった人々に出会い、こういった機関に所属していればこういった人々に出会う、という朧げな傾向が少なからずある。
「あー、やっぱこの種の人達か。この人達は、一般人から見たら相当特殊だ。」
その中だけにいて、その中だけの人との付き合いになってしまうと、私の場合は満足でない。
不十分であり、何か足りないと感じる。
カーストやジャーティほどではないにしろ、はっきり言って日本にも階層がある。
「常識」のレベルが異なる階層。
自分の属する階層内の人とのみ付き合っていると、これには気付きにくい。
そして、日本の場合、その階層は一人の人生内で変動が可能で、一度階層の段階が落ちてしまうと、再び這い上がるのが困難にできている。
他の絶対的な階層と違うのはここで、これは寧ろ、より残酷な構造なのかもしれない。
実力だけで生存している人って、いるのだろうか。
それより前に、階層が実力を取り巻いている。

プロヴォカティヴな目的として、以上を述べたわけではないことを断っておく。
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by epokhe | 2005-04-15 00:04

The prizewinner

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某雑誌のプレゼントコーナーに応募したところ、なんと、ギャルソンカーディガンが当たった!!!
しかも、1名様の商品!!!
たった1名しか当選しないものに、私が当選してしまった!!!
全く期待していなかったので、出版社からいきなり宅配便が届いた時は、一体何かと思った。
ツイてる!!!
嬉しい!!!
今年は色んな意味でキテる!!!
なにかとキテる!!!
この調子でこのままノッテいってしまおう。

今回のは「ビギナーズラック」ってやつかもしれない。
私はわりと懸賞に当たる人間として有名だが、今回、この雑誌を購入したのは初めてで、つまり、この雑誌のビギナー。
ビギナーズラックというのは、統計的には50%の確率で起こると言われているので、その種のラックだったのかもしれない。

とにかく、Hooray!
ありがとう、○○社!
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by epokhe | 2005-04-14 01:00

化粧の意味・パブリックな身体

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化粧にはどのような意味作用があるのだろうか。
また、化粧という行為とその行為者との間にはどのような関係が成り立っているのだろうか。

私は睫毛が長い(とりわけ下睫毛が長い)ため、マスカラを付けると結構強烈な目元になる。
では、何故マスカラをして目元を強調する必要があるのか。
同様に、何故ファンデーションを塗り、何故チークを入れるのか。
世の中の人間達(主に女性達)は、各々の手法で化粧をするが、それによって絶対的に化粧前より美しくなっているかは保証できず、あくまで主観レベルで手を施しているに過ぎない。
そもそも、この世には客観的な美しさなどというものは存在せず、「美」とは全て主観的なものである。

よって、私の考えでは単に「美」の観点から化粧をしているわけではないという論点が導き出される。
思うに、化粧とは一種のペルソナである。
化粧はペルソナの役目を果たしてくれる。
故に、化粧もせずにパブリックな場を平然と歩いている男性達を見ると、「おー、なんて無防備な…。」などと思ってしまう。
そのような無防備な様子は、世界(世間)に対して非常に無邪気であることを反映しているように感じる。

ルモワーヌ=ルッチオーニという精神科医は、ぼくらのからだのうえで、顔とそれ以外のボディがかくれんぼ遊びをしていると言っている。
「衣服で身体を覆うことは、顔にコミュニケーションの優位をゆずることであるが、仮面は身体をふたたびコミュニケーションの道具にする」というのだ。
仮面、あるいは暗黒舞踏でするような白塗りの厚化粧は、顔のメッセージを消去することで、逆にボディの運動にメッセージ機能を回復してやるわけだ。
ボディにことばを回復する芸術、たとえばパントマイムが道化のような無表情のメイクをするのもそういう理由による。
鷲田清一氏は、女のひとが化粧を日によって濃くしたり薄くしたりするのも、ひょっとしたら他人に対して<わたし>を薄くしたり濃くしたり微妙に調節するというところがあるのではないだろうか、と言っている。

一方、口唇や眼を一個の独立の形象として顔面から分離することで、それは独自の意味作用・アナロジーを開始させもする。
分離され、孤立させられた身体部分どうしが、いろんな連想関係に入るのだ。
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by epokhe | 2005-04-12 14:57

映像・映画界を支える人と。

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今後ディスカッションをさせて頂く予定の方々。

・筑紫哲也氏
・山田洋次氏
・大林宣彦氏
・是枝裕和氏
・小栗康平氏
・木村威夫氏
・ワダエミ氏
・久石譲氏

など。

上記の方々に対する質問等ございましたら、ディスカッション前に質問募集の記事でもアップ致しますので、その際は何なりとコメント下さいませ。
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by epokhe | 2005-04-11 23:18

花見に寄せて

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明日は春の嵐で桜が散ってしまうということで、本日が都心でのお花見最終日だったようで(しかも日曜日)、花見客の数が物凄かった。
人がウジャウジャ、ワンサカいらっしゃった。
花の数より人の数の方が多かったんではないか。
桜は幾分散り始めていて、葉桜の木々もあった。
それにしても、真っ昼間から酔っ払いの老若男女がフラフラ、グダグダしていて、なかなかの「みもの」だった。
顔を紅潮させて地面に寝っ転がっている人々がゴロゴロいて、わりと見学してしまった。
私の場合は、どちらかというと、「お花見」というより「お人見」となった。
外国人が初めてこの様子を見たら、まずビックリされるんではないか。
「日本人がこんな事してる!!!イメージと違う!」と。
「お人見」は、見ていてさほど美しいものではなかったが、お花は上品で綺麗だった。
夜は夜で、ちょっぴり妖艶さが加わった。
私は、花びらが散り落ちて地面に敷き詰められた道が大好きである。
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by epokhe | 2005-04-10 23:07

遠隔感応

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テレパシーみたいなものがあるとしたら、私は恐らくそれを体験した事があると思う。
こんなことを言うと変に思われるかもしれないが、別に大した事ではなく、私も適当な言葉が見当たらないので、適当にテレパシーとしているだけである。
テレパシーを感じた事はないが、テレパシーが通じた事はある。
離れている相手が、私の思う(念じる)通りに行動する。
こうなってほしいと願うと、そうなってくれる。
もしかしたらテレパシーなんかではなくて、単なる偶然かもしれないのだが。
いずれにしても、自分が相手の事を考えていると、その時相手も自分の事を考えているという状況は、偶然的摩訶不思議であり、ともすると「縁」などというものが頭をよぎってしまう。
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by epokhe | 2005-04-09 12:55

英語という"Operating System"

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英語で議論をしたり、英語で論文を書いていたりすると、発想が英語的になっていく。
ここで言う英語的とは、アメリカ的という意味だ。
発想自体がアメリカンになってしまう。
これはもう、わざとそうさせられている。
アメリカという大帝国が故意にそのような世界を造り上げた。
どうあがこうと、どうにもできない。
実際、英語で片付けておけば、まず問題はないため、無条件に英語で何とかする。
それが一番ラクチンだし。
英語(ヤンキー英語)さえできれば支障のない世の中を造り、我々の脳まで支配しようというわけだ。
英語使ってると人格まで変わるもんなー、私。

パソコン等の情報通信機器だって、実は、情報操作の道具として使われている。
つまり、至極当然のことながら、全ては「OS」によって規定されていくのだ。
オペレーティング・システムの大元が、排外的にも、英語オンリーなのである。
なぜ、OSが英語一辺倒なのか?
それは、アメリカがOS権力を握るためである。
言語というのはメディア権力であり、立派な「権力」なのだ。
フランス語やドイツ語やロシア語をOSに用いるのも可能なはずであるし、中国語はさすがに莫大な数で大変かもしれないが、日本語程度だったら技術としてはそれほど労力はかからないはずである。
だが、絶対に、永遠に、確実に、アメリカはそれをしない。
したら終わりである。
とりわけフランスは、それに対抗しようと必死な面もあるが、お気の毒なことに、やはり悪あがきでしかないのである。
どうしたって、文字化けしちゃうんだよーーー。
フランス語で頑張っても、日本語で頑張っても、それらの諸々のものは、地球規模で見たら蟻の糞ほどの影響力も及ぼさない。
影響力とか言う前に、化けちゃってるんだからさ。
読む事すらできないように、OSさんが支配している。

パソコンを、手段とか道具とか、都合の良いように便利に使っているつもりでも、実は、脳味噌までグッチョリとアメリカに握り潰されていたのでした。
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by epokhe | 2005-04-07 22:36
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