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枝分かれする電話

IP電話とか、ひかり電話とか、何か特別なものだと思っていたが、全然特別なものでも何でもなかった。
物質や機械やサービスに対する関係において、「知らない」ということは損をするということを意味するようにできている。
今更ながら、光IP電話になった私。
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by epokhe | 2005-05-23 21:54

韓国人のイメージアップ (日本人にはトリリンガルなんて滅多にいないよ)

韓国人のファン君とお近付きになった。
前々から面白そうな人だなと思っていて、お話したらきっと刺激になりそうだと感じていたところだった。
案の定、面白い人。
日本に来て数年なのに、英語に加えて日本語ペラペラ、大変優秀、かつユーモラスな人柄で、周りを明るくし、日本語でもジョークをバンバンかます。
最初は人見知りしているのか、若干恥ずかしがっていた彼だったが、私のお得意の「ほぐしテク」により(?)、わりとすぐに本性を出し始めた。
経験上思うのだが、本当にデキる人というのは大概ユーモラスな人格をしている。
何と言うか、相手を容易に自分のペースに持ち込めるような寛容さと、100人いたら90人からは確実に好かれるような高い好感度を持ち合わせている人が、実に多い。
人格まで含めて実力ですな。
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by epokhe | 2005-05-20 23:28

ブログにマナーがあるなら書けない

現実とは思えないような、現実離れした出来事が続く日々で、一体どうやって書いたら良いのか分からない。
どう表現したら良いのか、どう表現すべきなのか分からない。
夢か幻か、とはよくいったものだ。

色々な世界の著名な人と知り合うのは面白いし好奇心という名の血が騒ぐが、その中でも「どうも違うな。」と感じてしまう人々と深く付き合うのは骨が折れる。
そういう人々とは、表面的に付き合うだけでもわりと疲弊する模様。
その場で疲れるのではなく(寧ろその場ではカラ元気)、その場が終了してシチュエーションが変わった時に、どっと疲れる。
まあ、この繰り返しなので、いちいち疲れているわけにもいかず、そこら辺は承知している。

権力を持った人、社会的地位の高い人、お金を稼げる人、家柄に誇りを持つ人らは、右寄りの思想者が多いと改めて実感する日々。
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by epokhe | 2005-05-17 23:59

屋形船で月島もんじゃ!

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月島に行き、屋形船に乗りながら、もんじゃ焼きを楽しんだ。
こんなのは初めての体験で、ヒジョーに面白かった。
黙っていると船酔いするので、ずっと喋り続けていた。
数種類のもんじゃ以外に、お好み焼きや豚キムチチャーハンも鉄板で作って食べた。
そして、最後の極めつけは、「デザートもんじゃ」なる「いちごクリームもんじゃ」!
バターをしいて、その名の通りの「もんじゃ」を焼くのだが、これはこれでデザートとして食べればわりと絶品だった。
夜景も綺麗だったし、東京湾のど真ん中でもんじゃを焼いて食べている状況も、よくよく考えてみれば面白くて貴重だし、思い出深い夜だった。
久々にイベント的なことをした気がするなー。
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by epokhe | 2005-05-15 15:20

「在宅ストレス症候群」

「主人在宅ストレス症候群」というものが、世の妻に急増しているらしい。
自分の夫が家にいるだけでストレスとなり、この病気の症状が悪化すると死に至る可能性もあるそうだ。

同時に、「妻在宅ストレス症候群」というものも、世間の夫に急増しているらしい。
自分より妻が強すぎて頭が上がらず、色々ストレス状態が出るそうだ。

在宅ストレス症候群は、熟年カップルの約8割に当てはまる症状という。

愛し合っていない間柄ならまだしも仕方ない気がするが、たとえ愛し合っている二人でも、一緒に住み始めたらこうなってしまうのか。
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by epokhe | 2005-05-13 17:51

真実のみを語る

ある調査によると、人は一日に平均して「悪意のない嘘」を200回も口にするのだという。
200回とは恐ろしい数だ。
ここでいう「悪意のない嘘」とは、例えば、本当はそれほど会いたくない相手に向かって、「お会いできて嬉しいです。」などと言うことを指す。
こうした嘘は、寧ろ無害な社交辞令に属するものであり、特に問題ではない。

あるアメリカ人で、アメリカのビジネス界において大絶賛の「№1ビジネス・トレーナー」は、こう言う。
できもしないことを顧客に約束してはならない。
相手が喜ぶことばかりを言う癖がついてしまうと、自分の嘘に縛られて身動きがとれなくなる。
何人もの顧客に一人ずつ違った空約束をして契約を取り付けても、いつかは足を滑らせ、大怪我を負うことになる。
そのようなリスクを冒してはならない。
嘘は仕事を複雑にする。
されば、真実のみを語るべし。

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by epokhe | 2005-05-10 16:49

「疎外」について

前々回の記事に対して頂戴したコメントの中に、「人間疎外」という昔懐かしい言葉を受け取ったので、「疎外」という概念あるいは現象について整理してみた。

【疎外】
英語alianation(ラテン語alienatio<譲渡>に由来)、ドイツ語Entfremdungなどの訳。
<外化>とも言う。
ヘーゲル≪精神現象学≫やマルクス≪経済学・哲学草稿≫の重要概念。
自己に固有の本質を自らの外に対象化している事態。
自己実現と自己喪失とが互いに反転する場面とも言いうる。
原初的同一性が世界化(疎外)され、これが止揚されてより高い同一性に還帰する運動がヘーゲルの疎外の論理であり、世界史の見方。
マルクスはこれを人間の労働に転用して、疎外が資本主義社会下に生じることを指摘し、疎外されざる人間的本質の回復を革命に求めた。
ルカーチやサルトルに受け継がれて非教条的マルクス主義の重要な理論となったが、なおヘーゲル主義的形而上学の圏内にあるとして批判する立場もある。


人間疎外が現代にもあるとしたら、現代はなおヘーゲル哲学の圏内にあると目されてしまうのか。
ヘーゲルに代表される「ドイツ観念論」は「絶対者の哲学」だから、私はどうも釈然としない。
ヘーゲルもマルクス主義も「存在の弁証法」で、我々と関係なく現実そのものにロゴスが内在している、という立場だが、それは非常に神秘主義的だと思う。
果たして、神の場に立って、全般的に物事を見渡すことなどできるのだろうか。
全体を優先して、その立場から個を見ようとするのは無理がある。
ヘーゲルの面白さは、弁証法の巧みなプロセスのみであって、それ以上でも以下でもない。
全体が真理である、という彼らには反対したい。
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by epokhe | 2005-05-05 20:25

グランディーバ

おととしの今頃、グランディーバ バレエ団の公演を、お気に入りのヒトと観に行った(場所は確か三軒茶屋あたり)。
一般向けの公演は5/8からだったが、私達が行ったのは5/5のこどもの日。
なぜかと言うと、これは会員限定の特別公演で、その貴重なスペシャル・チケットを、母の親友のオペラ歌手さんがプレゼントしてくれたのである。
グランディーバは男性だけで構成される、ニューヨーク生まれのバレエ団なのだが、色々なキャラがいて、かつ実力は世界的にも相当凄い人達が揃っている。
私が観た公演は、笑いの要素が強いものだったけれど、身体表現の卓越性には圧巻だった。

Bunkamura magazineをパラパラと見ていたら、オーチャードホールでのイベントスケジュール欄に、「グランディーバ バレエ団 Happy Parade 2005」というのを発見し、おととしのことを思い出した。
今年も5月から全国ツアーが始まるんだなー。
詳しくはこちら
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by epokhe | 2005-05-04 12:58

超少子化社会に至る自明の法則(macroscopic版)

子どもが必要な国家の判断
↑を、ちょっとTB。
日本では、ベビーブーム後の1950年代の出生力転換で合計特殊出生率が2.0まで低下した後、17年間ほぼ同じ水準を維持した。
その結果、「団塊の世代」が結婚・出産年齢に達した1970年代前半に第2次ベビーブームが起こり、「団塊ジュニア」が誕生した。
もし出生率がその後も2.0前後を維持していれば2000年頃に第3次ベビーブームが起こり、“団塊グランドジュニア(?)”が生まれていたであろうが、これは幻に終わった。
第2次ベビーブームの直後から、日本人口の将来像を根本から覆す新しい出生率低下現象、すなわち「少子化」が始まったからである。
その後30年間続いた出生率低下によって超少子化社会が出現したが、これによって今世紀中に日本の人口は半減し、国民の3人に1人以上が65歳以上の超高齢社会となる可能性が出てきた。
世間では少子化を危ぶむ声も聞かれるが、そもそも人口なんて一貫して成長するものではなく、成長したり減少したりというサイクルを経験するものだ。
例えば、ヨーロッパにおいてであっても、キリストの誕生から18世紀まで人口が3倍に増加したのは、決して徐々に起こったわけではなく、拡大や危機の連続した波の結果として起こったものである。
ローマ帝国やユスティニアヌス帝時代は、異邦人の侵入や病気で危機に面し、12~13世紀には逆に拡大し、14世紀半ばには再び疫病の破壊的な一期間の結果危機に面し、15世紀半ばから16世紀終わりには一気に回復し、かと思ったら18世紀初頭まで停滞の危機に陥る…。
といったように、人口は環境等と相互作用しながら増加したり減少したりの循環を周期的に辿るのだから、ただ単に、現時点やちょっと昔や近い将来だけを見てゴチャゴチャ言っていても始まらない。
人間も、生まれて生きて死んでいく生き物であり、大きなアスペクトから見れば、本当にちっちゃな一点にしか過ぎない時代(あるいは点にもならないほどの時代)の中で生きる。
私達が死んだ後の未来は誰にも分からないし、未来世代が何を望むかも勿論分からないけれど、「分からない」ということが「何もしない」ことの根拠には決してならない。


Cf.国力/子供/制度/結婚
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by epokhe | 2005-05-03 23:02
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