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『ミリオンダラー・ベイビー』

品川プリンスに新しくできた映画館にて、今更ながら『ミリオンダラー・ベイビー』を観た。
(レイトショーは1500円なのでお得!)
「ミリオンダラー・ベイビー」の話だと思っていたら、ただの「ミリオンダラー・ベイビー」の話ではなかった。
確かにマギー(モ・クシュラ)は「ミリオンダラー・ベイビー」だったが、単なる「ミリオンダラー・ベイビー」ではなかった。
ボクシング、生、死、神、家族、倫理…等々のテーマがサイドステップしている映画だった。

ボクシングは近年の私にとって極めて身近なスポーツである。
(詳しくは、クラッシュパンチシリーズ及び、←左の記事内のリンク先記事をご覧ください。)
そして、ボクシングという生き方にはただただ頭が下がる。

寺山修司もボクシングへの思い入れが強かった。
彼はボクシングの記者であったことはさることながら、ボクシングを題材にした映画や評論も残している。
大抵の人間にとって、思想を実行するというのは限りなく不可能なことだけれど、唯一、思想を体現できるのがボクサーであると思う。
そして、この『ミリオンダラー・ベイビー』に登場してきたボクサーらも例外なく、見事に思想を体現していたのであった。
私達は、ボクシングの試合のエキサイティングさや、ボクサーのテクニック面での強さに対して憧憬するのではなく、ボクサー自身の精神の歴史や死への精神に対して憧憬するのだろう。
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by epokhe | 2005-06-26 17:49

ブログの次???

「ブログの次は"SNS"だ!!!」という見出しが某誌に掲げられていたが、そうなの?
"SNS"というのは、皆さんもご存知のように、「ソーシャルネットワーキングサービス」または「ソーシャルネットワーキングサイト」のことで、具体的にはGREEやmixiやJOCOSOが挙げられる。
「ブログの次は"SNS"だ!!!」というのは要するに企業側の戦略として「次」という意味だろう。
私にとっては別に「次」じゃない。
始めたのはブログも"SNS"も同じくらいの時期だった気がする(1年以上前)。
次だろうが何だろうがどうでもいいけど、「アタシ達は何だか全て飽きてしまうね」


Cf.GREEとかmixiとか
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by epokhe | 2005-06-24 23:59

social stratification

私は今、「社会階層(social stratification)」というものに、非常に興味を持っている。
興味と言うと浅薄な響きに聞こえるかもしれないので、問題意識とでも言うべきか、兎に角それについてもっと知りたい。

社会階層という概念は、20世紀になってからのアメリカで、ソローキンによって創始された。
ソローキンは、社会階層を3つの次元に区別した。

(ⅰ)貧富の差によって地位が区分される経済階層
(ⅱ)権力と威信、名誉と称号、支配と被支配などによって地位が区分される政治階層
(ⅲ)職業的地位が名誉や権力をもつか否かによって区分される職業階層

次にソローキンは、これらの階層的地位のあいだを個人が世代間ならびに世代内的に移動する、という社会移動の概念を立てた。
そのような流動化現象を生ずる理由として、ソローキンは、

(ⅰ)階層間の出産率・死亡率の差
(ⅱ)親と子のあいだの能力の差
(ⅲ)環境の変動
(ⅳ)個人の能力と個人の階層的地位とのくいちがいの事後的調整

という要因をあげた。

概念的準備としては以上になるが、社会階層の構造と階層間の個々人の社会移動について、もう少し詳細に渡って調べてみるつもりである。
21世紀的には、また違う概念が生じていると思われるし、ともかく気になるところだ。
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by epokhe | 2005-06-23 00:40

車と女

自動車の趣味(車種や色など)は、多少なりともその人の傾向を表していると思う。
そして、男の人の「車の好み」と「女の好み」には相関があるとよく聞く。
私が付き合った男性で、車を所持している人は大抵が外車に乗っていた。
ということは、私って外車っぽいんだろうか。
でも、フェラーリが愛車という人とは付き合ったことがない。
あー、良かった。
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by epokhe | 2005-06-20 17:33

組織の構造

組織を構成しているのは、言うまでもなく複数の個人だが、機能的には複数行為者の諸「行為」であると言った方が適切である。
組織を構成している要素としての行為を組織行為(organizational action)と言う。
組織行為は、独立した個人の行為とは異なって、個人の欲求充足に指向するのではなく、組織目的達成のために他者と協働することに指向し、そのために個人の欲求充足を禁ずる――究極的には個人の欲求充足につながり得るとしても――ことを特徴としている。
組織目的を効率的に達成し得るということは、組織の合理性ということにほかならない。
つまり、合理的な組織とは、組織行為をオーガナイズして、組織目的を効率的に達成し得るように「構造化」したものである、と言うことができる。

organizational actionばかりしていると、独立した個人の行為の仕方を忘れていく。
また、organizational actionをすべき場面なのに、個人の欲求充足をしている気になって喜んでいる人もいれば、organizational actionだけしていれば良い場面なのに、個人の欲求充足まで求めて苦しむ人もいる。
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by epokhe | 2005-06-12 22:38

ブログの目的のようなもの

ブログを始めて1年以上が経ったが、ブログというのは一体誰のために書いているのだろう。
誰に向けて発信しているのだろう。
そこら辺が、ブログを始めた当初と変移してきている気がする。
初めは読者と呼べるような方々を意識していなかったので、どちらかというと自分の独りごと的要素が強かったと思う(寧ろソレしかなかったかも)。
自分に向けて発信しているつもりが、いつのまにか色合いが変わってきて、テクストというのは読者がいて初めて解釈がなされるし意味を持つものだとチョッピリ感じ、また、テクストはえてして独り歩きを免れないと実感した。
とはいえ、ブログは一体誰に向けたものなんだろう。
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by epokhe | 2005-06-11 01:08

西洋と非西洋

アメリカやイギリスやドイツやフランスはそれぞれに個性を持っているにしても、「西洋」としての共通特性(たとえば白人の国である、キリスト教の国である等々)を持っており、そして近代産業社会はもともと西洋のものなのだから、理念型としての近代産業社会からの変異は小さいと言って良いだろう。
これに対して私達は日本人であり、そして日本は東アジアに位置しているのだから、近代産業社会からの変異が大きいのは当然である。
私が西洋と非西洋の違いという問題にこだわるのは、私達日本人は明治以来今日まで、一方では西洋文明を近代化と産業化にとっての模範と見なして、西洋人と自分をアイデンティファイしようとしてきたが、一方では、自分が西洋人でないことを意識し、西洋人に対して国粋主義的な反発を示すという、大変屈折した両面性を持ち続けてきた事実を考えるからである。
どうして日本人は非西洋人でありながら、自分を西洋人とアイデンティファイしてきたのかと言えば、それは近代化と産業化が日本人の国民的目標であり、そしてその近代化と産業化は西洋人によって創始されたものであったからである。
非西洋はもちろん西洋と違うのだが、しかし近代化と産業化を目指す限り、日本は西洋と違うと割り切ってしまう事ができないのである。
なぜならば、日本は西洋と違うといって割り切る事は、近代化と産業化が日本人の国民的目標であるということとの間に、認知的不協和を引き起こすことになるからである。


続けて書いていくと長くなるのでひとまずここまでにしておくが、久々に投稿した記事で何故こんなことを書いたかといえば、日本で活躍している日本人は何だかんだで日本が好きだと感じる機会が、最近とみに多かったからだ。
日本が好きじゃなかったらとっくに外に出て行っているはずだし、日本が心地良いから日本に居座っているんだと思う。
日本においては、産業化は成し遂げられたかもしれないが、近代化はまだまだ進行途上の状態である。
日本はつくづく複雑な国だと感じる。


Cf.直系家族と核家族の間で揺れ動く日本人
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by epokhe | 2005-06-04 23:46
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