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○○ながら生きている

少女時代からの親友が来月、新宿で、日本に帰国後初の舞台公演をする。
楽しみ!
今は稽古を頑張っているようで、そういう知らせを聞くと、私も好きなことを思いっ切りやって生きよう、と思う。
こうしているうちにも、寿命が1秒、2秒、3秒……、と縮まっているのだから。
瀬戸内寂聴が、「出家とは、生きながら死ぬことだ」と言っていたが、よく考えるとそれは変だよ。
私達は、毎日少しずつ「死にながら」生きてるのです。
確実に迎えることになる死というものに向かって、着々と進みつつ、生きている。
話が飛んでしまったが、とりあえず、来月の演劇が楽しみ!
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by epokhe | 2005-12-08 19:22

近代的歩行法と、身体の国家管理

日本人は、明治の初め(1868年)まで、皆「なんば」歩きと呼ばれる歩行の仕方で歩いていた。しかし、明治に入ると、学校教育を通して、いわゆる軍隊式歩行法を教えられ、徐々にこの歩行法が広まっていった。今では、よほどの事情がない限り、日本人は皆この軍隊式歩行法で歩いている。

「なんば」歩きというのは、右肩を前に突き出すようにして右足を前に送り出し、続いて、左肩を前に突き出すようにして左足を前に送り出す、という歩行法である。「肩で風を切るような」という形容がなされる、そういう歩き方のことで、腕はだらりと下に下げたままである。全体的にゆったりとした歩行である。ただし、忍者はこの歩行法でかなりの距離を相当なスピードを維持して歩く(走る)ことができたという。武士もまたこの歩行法であったが、彼らは職業上、走ることは許されていなかった。江戸時代までの日本は封建社会だったので、身分によって「歩き方」が指定されていた。つまり、農民には農民の、商人には商人の、武士には武士の「歩き方」が決まっていた。したがって、「歩き方」を見れば、その人の身分(階級)が分かったという。しかし、基本的には、皆、この「なんば」歩きで歩いていた。

軍隊式歩行法については説明の必要もないと思う。軍隊の兵隊達が整列行進していく時のあの歩行法である。もちろん、厳密に言えば、国によって兵隊の歩行法は少しずつ異なる。しかし、基本的には、腕と足を交互に逆に送り出す歩行法である。つまり、右足を前に送り出す時には右腕を後ろに引き、左足を前に送り出す時には左足を後ろに引く。すなわち、下半身と上半身は逆の動き方をするので、結果的に「逆ひねり」の運動が生まれる。これが、ここでいうところの軍隊式歩行法である。この歩行法はオリンピックの開会式などの入場行進にも見受けられる歩行法である。最近は、かなりリラックスした歩行による行進が展開されるようになったが、一昔前までは、軍隊の行進と少しも変わらなかった。

こうして、最初は軍隊を通してヨーロッパの近代的歩行法が日本の中に移入された。そして、それは、やがて、学校教育を通して子供達のからだの中に移入されることになる。整列・行進を中心にした「集団秩序訓練」である。指導者の号令一つで、全員が揃って同じ行動がとれるようにする訓練である。並び方(気をつけの姿勢、休めの姿勢、右へならえ、整列の仕方)、隊列の組み方(二列縦隊、三列横隊、など)、歩行の仕方(その場足踏み、前進歩行、方向転換、など)、向きの変え方(右向け右、左向け左、回れ右、など)、等々の訓練である。歩行法についても、さらに、微に入り細にわたり指導を受ける。小学校で「集団秩序訓練」をやらなかった人はいないだろう。私も小学生時代にやらされた記憶がある。運動会もその一環ではなかろうか。

隊列行進運動という伝統は意外な展開をみることになる。例えば、青年運動では「ワンダー・フォーゲル」活動をその活動の中軸に据えた。近代オリンピック競技大会の開会式の行進もそうであり、「ヒトラー・ユーゲント」の行進も、ソコール運動も、或いは、社会主義国で開催されるスポーツ大会などの行進も、皆、ここでいう「近代的歩行法」を採用していた。今日、最も際立った行進を示しているのは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の軍隊の行進であろう。

このように考えてくると、近代的歩行法は、一つには、国民の身体を国家管理のもとに位置づける上で大きな役割を果たすと同時に、共同性の中に個人の身体を埋没させる上でも(或いは、国民としての共同体意識を育成する上でも)重要な役割を果たしたことが分かってくる。
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by epokhe | 2005-12-07 21:10

2005 冬の日

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◆今日は洋服を10着買った。メンバーズの会員限定で全商品30%offになるという期間にノセられた。いや、ノセられたのではなく、こういうのをうまく活用したのだ(と、思いたい)。もう今年は服を買わないぞ、と決意したと思ったら、今年はあと3週間ちょっとしかなかったことに気付いた。要らない服を古着屋に売りに行こう。

◆フジテレビの長野翼アナウンサー(♀)は、大学時代のサークルの先輩である。サークルで一緒だった長野さん。最近よくニュースで目にする。昔と少しイメージ(雰囲気)が変わった。当時は髪の毛が真っ黒で、割と古風な印象があった。でも、顔はそのまま。上品でキレイな先輩だった。

◆最近、お酒を作るようになった。寒い夜はホットカクテルを作る。

◆過去に戻ってもいいよと言われたら、4年前の今頃に戻りたい。

◆咳が出る。咽喉痛し。「インフルエンザに罹ってタミフルにお世話になってタミフルの副作用で異常行動を起こして死に至る」、という結末は避けたい。あと、再び「結核」が増えているようで、集団感染の恐れがあるらしい。結核が発病することなどありませんように。

◆今年も色々した。1年間同じことの繰り返し、というのは嫌だ。詰まらない。毎年違うことをやっていたい。一般企業というのは、内容はともかく形式的には毎年同じことを繰り返す。これでいいやと妥協したところから、サラリーマンはオッサンになっていく。私はオジサンになりたくない。

◆動き続けていると、走り続けていると、時々腰を据えてものを考える時間を失う。走ってしまった今年は、失った時間の分だけ去年より楽だった。
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by epokhe | 2005-12-06 18:51

西麻布THESE(テーゼ)

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(↑画像をクリックすると拡大。)
西麻布にTHESE(テーゼ)というお店があります。
コンセプトが独特で良いと思いませんか?
週末はココ、テーゼでparty(←「パーリー」と発音・笑)です。
その後、テーゼからclubMへ移動。
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by epokhe | 2005-12-05 19:48

映画『同じ月を見ている』 Under The Same Moon

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映画『同じ月を見ている』を観た。

窪塚洋介復帰作第一弾。
窪塚洋介も年をとり、もう男子高生の役はさすがにキツくなった。
学ランを着ても、高校生に見えない。
だが、制服を着ているのは過去のシーンのみで、役柄の職業は医師であり、白衣・手術衣を着ている姿を見ることができる。
私と同年代の彼だが、とにかく年をとっていてビックリした。
外見は大人びたのに、演技が今までのままで、台詞の吐き出し方も以前と変わらぬやり方だった。
窪塚は窪塚のままだと思うと同時に、いつまでこの演技方法でやっていくつもりなのか、やれると思っているのか不安になった。
彼にやらせると、何だか全て「役」が同じになってしまうのだ。
たとえその役柄の年齢が違っても、職業が違っても、バックボーンが違っても、全部「窪塚色」になってしまう。
これは、もしかしたら良いことなのかもしれないし、悪いことなのかもしれない。
そんな彼を見ていたら、それは哀しいことに「イマ」ではなくて、「ああ、私達の時代って終わったんだな。」と感じた。
彼が高校生役をやっていた全盛期が、私達の青春全盛期だった。
窪塚洋介がノスタルジー化していくのを見るのは辛いが、現実はそうなのだろう。

さて、ストーリーだが、これがまたいささかオカシイ。
兎にも角にも、窪塚演じる熊川鉄也への裁きが足りない。
熊川鉄也だけが救われて、エディソン・チャン演じる「ドンちゃん」があそこまで報われないのは納得いかない。
熊川鉄也は、はっきり言って究極の「駄目人間」である。
それにもかかわらず、医師という権威を得て、愛する女性とも結ばれて、しれーっと生きていられては困る。
ドンちゃんはどうなるの!
ドンちゃんがカワイソ過ぎる。
それもこれも、黒木メイサ演じるエミが、ちゃんとしないからだ。
普通だったら、真実を知った時点で鉄也を斬り捨てるはずなのに、ぼけーっとそのままズルズルというのは、ドンちゃんに失礼。
もう少し意志を持ってほしかった。
あと、山本太郎はとても良かったのだけど、それを取り巻くヤクザ系内容は果たして必要だったのかな?
以上は、原作の問題かもしれないので、あまりグチャグチャ言うのはやめておく。

深作健太監督は、まだ若い監督である。
今後はどういう方向に向かうのだろう。


【余談】
学生時代の友達に、顔・スタイル・ファッションが窪塚洋介とウリ2つの男の子(S君)がいて、皆から「クボヅカ」と呼ばれていた。
今回、久しぶりに窪塚洋介を見て、改めて「あ~、やっぱりS君にソックリ。」と実感。
昔は窪塚と言ったらイケメンの代名詞だったけど、今はそんなこともないんだろうか。
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by epokhe | 2005-12-04 23:00

死亡率によってみた死因順位/メメント・モリ

わたしにはまだ、生存欲があります。
↑こちらの記事で、「自殺」のことが書かれていたので、自殺は死因順位のどこに位置するのか調べてみました。
6位でした。
2000年と比較して、2002年は自殺の死亡率が減少してます。
現在の死因は、圧倒的に癌(がん)ですね。

以下、2002年のデータですが、「死亡率によってみた死因順位」です。
(死亡率 人口10万対)

第1位  悪性新生物     241.7
第2位  心疾患        121.0
第3位  脳血管疾患     103.4
第4位  肺炎          69.4
第5位  不慮の事故      30.7
第6位  自殺           23.8
第7位  老衰           18.0
第8位  腎不全         14.4
第9位  肝疾患         12.3
第10位 慢性閉塞性肺疾患  10.3


将来的に、私は、心疾患で死ぬような気がします(笑)
とは言え、人生は自分で選択できるが、死因は自分で選択できないので、どうにもならない。
しかし、「死を想え」という言葉を忘れてはいけない。

「メメント・モリ」
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by epokhe | 2005-12-01 23:23

配偶関係別平均余命 ~あなたにはまだ、生存欲がありますか?~

面白いデータがあります。
厚生労働省統計情報部のデータを眺めていたら、面白いことを見つけました。

結論から申し上げます。
「離別した男性は、一人で生きる力を失っていく。」
「離別しても生き抜いていくのは、女性である。」
つまり、「一人でも寿命を全うできるのは、女性である。」

この尺度となるのは配偶関係ごとの平均余命です。
男女それぞれについて、配偶関係別40歳時平均余命のデータを示します。
(数値だけだと解り難いかもしれない。figureだと顕著。)

【男】
有配偶:39.06年
離別:28.72年
死別:34.95年

【女】
有配偶:45.28年
離別:40.49年
死別:43.32年

女性は、夫がいても、夫と別れても、その後の平均余命に有意差はない。
つまり、女性は二人だろうと一人だろうと、構わず生きる。
それと比較して男性は、もし妻と別れた場合、妻と別れなかった場合より10年も早く死亡してしまう。
つまり、男性は一人になってしまうと、生存しにくくなり早く息絶えてしまう。

現在、有配偶者に対する離婚率(15歳以上有配偶人口に対する率)は59.8%である。
そして、その離婚率は近年上昇し続けている。
ということは、どういうことかというと、生存する意欲を喪失した男性が増加し続けるということだ。

エロスとタナトスという言葉がある。
生への欲求、エロス。
死への欲求、タナトス。
女性がエロスを身につけるようになればなるほど、男性はタナトスを獲得するようになる。

1人で強健になっていくのか。
1人で弱小になっていくのか。
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by epokhe | 2005-12-01 00:15
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