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記憶とパイロットフィッシュ

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ご紹介頂いた、大崎善生『パイロットフィッシュ』を読んで。

ここに登場する人物は、皆、憐れである。
憐れで焦れったくて、何かにつけて「記憶」のせいにする。
この小説は、「記憶」と「水」の物語であると感じた。

冒頭は、≪人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。なぜなら人間には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである。≫という文章で始まる。
いい「水」という環境を創り出し、
他が生きるための「生態系」だけを残して死んでゆくパイロットフィッシュ。
「水」というのは、レストランで出されるグラスに入った水でもあるし、
我々が生きる世界そのものでもあるのだろう。
そして、パイロットフィッシュは、世界の中の人間一人一人でもあるかもしれない。
だから、これは「記憶」と「水」の小説なのだ。

ただ、ここで扱われる「記憶」、著者が言わんとする「記憶」には
幾らかの物足りなさを私は感じる。
主人公らが考える「記憶」は、まだまだゆるい。
甘えていて「おセンチ」で脆い。
もろくて感傷的で見ていられない。
例えば・・・、
≪記憶はゆらゆらと不確かに、それでいて確実に自分の中に存在し、それから逃れることはできないのだ。≫
≪どんなに忘れたい過去も、若さと感性だけで言い放った思い出したくもない浅はかで残酷な言葉も、自分の一部として生き続けていてそれだけを切り離すことは、不可能なのだ。≫
などとある。
もう少し「記憶」についてイメージを膨らませてくれても良かったのではないかな、と思う。

確かに記憶はそのままだ。
だが、たとえ悲惨で暗い過去でも、時としてハッピーカラーに塗り変わることだってある。
つまり、記憶という事実は変わらなくても、
その後ろに流れるメロディによって、それは塗り変わる。
昔は、ある陰惨な記憶と一緒に、気味悪く恐ろしい曲が流れていたとしても、
今は、その記憶のバックにいつも美しい音楽が流れている、ということも有り得る。
BGMが変われば、見え方だって変わる。
人間は恐らく記憶を変えることはできないが、BGMくらいは変えられる。
記憶も人間も、もっと重奏的なものだ。
by epokhe | 2004-09-18 17:38
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