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"nihilism"への疑問符/「意味」について

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"nihilism"というものがある。

「ニヒリズム」という英語(という発音の英語)はなく、これは日本語である。
「ニヒリズム」は、「虚無主義」と言われたりもする。

「ニヒル」というのは渋くて深遠なものを感じさせるためか、
ニヒルな男性というのが、時として女性にモテたりもする。

"nihil"というのはラテン語で「無」を意味する。
これは、価値的な意味での無であり、「無意味」という意味での無である。

ニヒリズムは内在的であり、超越的な世界を否定する性格を持つ。
これを代表する人物として、ニーチェやドストエフスキイが挙げられる。

私は、ニヒリズムには懐疑の念を抱く。
(ニーチェやドストエフスキイ自身は凄いと思うけど。)
たとえ、transcendentな存在をカッコに入れたとしても、
世の中は無意味ということにはならない。
生活世界の中で、間主観性(相互主観性)の中で、生きているのが我々である。
この世に産まれてきた時、既に意味が形成され蓄積されており、
意味に満ちている。
さしあたり、「私の世界」は、相互主観性の中で、私が常に形成しつつある。
まあ、「私の世界」なんてのは、厳密にはないけど。
「私」は多数の特殊な世界に部分的に属しているものであるから。

というわけで、虚無主義は、否定的に飛躍した発言である。
実際、それほど孤立した人ってのは稀だと思う。
事柄との関わりだってあるんだし。
我々は、肯定的・否定的な意味の中に生きている。

意味の探究は、形而上学である。
身近なものとして形而上学はあり、これは生きた思索の可能性である。
そして形而上学は科学と両立する。
ある一定の限られた視野(前提)と方法が、
科学をつくり上げると同時に科学の限界を生む。
科学は精密であればあるほど「全体知」は得られない。
「全体知」を探究するのが普遍学(例えば、形而上学)である。

おやー、何かニヒリズムとちょっとずれてきたか。
ともかく、世の中が無意味というのは否定的に飛躍した思想であろう。


Cf.永遠回帰・運命愛・ニーチェ
by epokhe | 2004-11-16 15:13
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