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同一性と差異性と文化

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有限な自覚的存在としての人間は、理想や目標に向かって、
あるがままでないことに精を出す。
そしてそこに歴史というものが形作られる。
自然的存在としての人間の同一性(あるがままにあること)に介入してきたこの差異性を、
高い次元でふたたび同一性のうちに取り込もうとしたものが、弁証法であった。
だが、このようなやり方は、差異を同一性のもとに従属させることではないだろうか。

現象的に見ると、趣味、学力、ステータスなどの点で
現在好んで差異が強調されているように見える。
けれども一歩立ち入って考えてみると、
そのような差異というのは価値の豊かな多様化をもたらす本来の意味での差異ではなくて、価値の貧しい単一化に基づく、その中での差異にすぎないことが分かる。
言い換えれば、それは差異ではなくて同一性に基づいたものなのである。
それはまた、差異を含み、生み出すような自己同一性ではなく、
硬直し固定化された同一性であるとも言える。

今日、私はどれほど多くの文化的経験を、
あたかもそれが当たり前であるかのように受け取り、
そうした中で私自身のポジティヴな、あるいはネガティヴなアイデンティティを
形成してしまっているだろうか。
そのことを理解するには、
我々の主体が文化の中に重層的に呼び出されていること、
しかしその文化たるや、矛盾やずれを幾重にもはらんでおり、
したがってそこで呼び出される主体なるものも、
決して首尾一貫したものではあり得ないことを認識しておく必要がある。
つまり、文化は決して、何らかの一貫した原理で構成される統一体ではない。
前衛的なものや大衆的なもの、ナショナルなものやグローバルなもの、
本質的なものや相対的なものまでもがぶつかり合い、
折衝するさまざまな社会戦略の重なり合いの中で歴史的に構成されていく。
したがって、文化はいつも、その中に矛盾や亀裂、
ねじれや妥協を抱え込みながら
あたかも所与であるかのように構造化されている実践的なプロセスなのである。
by epokhe | 2004-11-24 16:26
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