寺山修司と三島由紀夫 ~抵抗・フォルム・芸術・文化~
『思想への望郷 寺山修司対談選』(講談社文芸文庫)は、良い!
私のブログの読者の方には寺山修司が好きなお方が結構いらっしゃるので、お読みになった人もいるかしら。
購入した当時、レジで
「1260円です。」
と言われた時、騙されたかと思った。
「文庫なのに、そんな高いの?!」
値段も見ずに、「寺山修司」ってだけで速攻鷲掴みしてレジにダッシュしたもんだから。
確かに、この講談社文芸文庫シリーズはどれも高かったよね。
これには7人の思想者との対談が収録されているのだが、その中から三島由紀夫との対談「抵抗論」より一部抜粋。
(以下、寺山修司:寺,三島由紀夫:三)
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寺:しかし文化の概念が変質していくということは認めざるをえないでしょう。
三:絶対に認めないです。いくら変質したって、フォルムの形成意欲は変質しない。これは芸術の宿命でしょう。
寺:フォルムを要求する心象は変わらなくても、文化の形態そのものは変わります。変わるから形なのだ、と言えるでしょう。
三:それは絶えず変わっていくでしょうけどね、単なる流行というか表面現象にすぎないでしょう。
寺:不滅なんてない。
三:不滅というのはフォルムですよ。
寺:たとえば母親と息子がやることも文化だとはお考えにならないわけですか。
三:もし、それが倫理化されれば文化になるんだよ。
寺:フリー・セックスがただ「解放」に向かっているあいだは非常に軽薄ではあるけれど、しかし母親と寝、兄妹と寝ることが文化になるのは当然の成り行きだと思う。
三:あれ、それはぼく認めるよ。ただ、あなたの話聞いてると、寝てもいいじゃないかと・・・・・・。
寺:いや、寝るべきだといってるんです。
三:それならフォルムなんだよ、“べき”ということは。赤塚不二夫の漫画じゃないけれど、“べし”じゃなきゃ芸術じゃないんだって。“寝るべし”と言えば、その瞬間、芸術になるんだよ。
寺:ぼくは寝るのは当り前だ、と言ったんです。それは謙虚に言ったので、“寝るべきである”と言ったんですよ。それが抵抗の拠点になりうるかです。
三:“べき”でなきゃ抵抗の拠点になれないな、新左翼にも全般的にいえることだけど。
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「抵抗論」では他にもいくつかのテーマで二人が対談しているのだが、そのやり取りがホントに面白い。
寺山修司と三島由紀夫は基本的に話が噛み合ってなくて、いきなり話が飛んじゃったり、ヤケになったり(?)もするが、言っちゃ悪いけど、三島より寺山の方がずっと「うわて」である。
あと、三島のボディビルの話とか、ホントうける。
三島は音楽に合わせて自分の胸の筋肉をいくらでも動かせるらしい。
体の中から不随意筋をなくそうというのがボディビルの原理だって。
だから当然のことながら、三島は「偶然」が嫌いで絶対に信じず、「必然性」が神。
それに対し、寺山は、必然性というのも偶然性の一つだと言う。
ぼくらは偶然的存在だと。