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『痕跡』

行きたい行きたいと言っていた、TRACES : Body and Idea in Contemporary Artに行ってきた。

痕跡は「キズ」ばかりではないはずであるのに、「汚れた跡」としての表現が大多数であった。
そんな中、「明るい残骸」や「清々しい形跡」もいくつかあり、目を引くものがあった。

印象深かったのは、ジョルジュ・マチウの《豊臣秀吉》と、金属活版の球と、ソル・ルウィットの《ウォール・ドローイング#4》など。
他にもあるが、作品名が分からない。
前衛的であろうとしたものは前衛にはなれない。
前衛は、成るものではなく、在るものだと思った。

作品の中には、私でも描けそうな(私でもできそうな)ものがいくつもあった。
だが、それと全く同じものを私がつくったとしても、それは作品にはなり得ないのは分かっている。
その人がやったから作品になる。
「その人」は「それなりの人」なのだ。
村上三郎の《入口》は、大きな金色の紙を村上三郎が破壊しただけのものである。
展示場には、作品の横に、彼が紙に突進して破っているパフォーマンスの映像が映し出されているが、こんな頭でも狂ったような行為をして評価されるのは、それが「彼」だからである。
「彼」だから、どんな阿呆なことをしようと拍手を貰えるのだ。

海外の作品に比べて、日本人の作品はパッとしないものが多かったが、展示作品の最後の方に、とても美しい日本語があった。
日本語といっても、日本語の単語としては存在しない日本語の連なりである。
私は声に出して発音してみたのだが、読んでいて心が瑞々しくなった。
日本語の響きって、こんなに綺麗だったんだ。
美しい日本語は、日常にはないと思った。
美しい日本語は、意味の中にはないと思った。

「痕跡」の反対語は何だろう。
「過去に何事かがあったことが分かるようなあと」が「痕跡」であるなら、「未来に向けて何事かをすること(何事かが起こること)」が、その反対だ。
「痕跡」の対極にあるのは、「現在」だった。
by epokhe | 2005-02-10 02:30
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