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「疎外」について

前々回の記事に対して頂戴したコメントの中に、「人間疎外」という昔懐かしい言葉を受け取ったので、「疎外」という概念あるいは現象について整理してみた。

【疎外】
英語alianation(ラテン語alienatio<譲渡>に由来)、ドイツ語Entfremdungなどの訳。
<外化>とも言う。
ヘーゲル≪精神現象学≫やマルクス≪経済学・哲学草稿≫の重要概念。
自己に固有の本質を自らの外に対象化している事態。
自己実現と自己喪失とが互いに反転する場面とも言いうる。
原初的同一性が世界化(疎外)され、これが止揚されてより高い同一性に還帰する運動がヘーゲルの疎外の論理であり、世界史の見方。
マルクスはこれを人間の労働に転用して、疎外が資本主義社会下に生じることを指摘し、疎外されざる人間的本質の回復を革命に求めた。
ルカーチやサルトルに受け継がれて非教条的マルクス主義の重要な理論となったが、なおヘーゲル主義的形而上学の圏内にあるとして批判する立場もある。


人間疎外が現代にもあるとしたら、現代はなおヘーゲル哲学の圏内にあると目されてしまうのか。
ヘーゲルに代表される「ドイツ観念論」は「絶対者の哲学」だから、私はどうも釈然としない。
ヘーゲルもマルクス主義も「存在の弁証法」で、我々と関係なく現実そのものにロゴスが内在している、という立場だが、それは非常に神秘主義的だと思う。
果たして、神の場に立って、全般的に物事を見渡すことなどできるのだろうか。
全体を優先して、その立場から個を見ようとするのは無理がある。
ヘーゲルの面白さは、弁証法の巧みなプロセスのみであって、それ以上でも以下でもない。
全体が真理である、という彼らには反対したい。
by epokhe | 2005-05-05 20:25
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