『メゾン・ド・ヒミコ』
「お洒落なお盆」を味わうことのできる映画だった。
映像と描き方がお洒落な映画だったと思う。
ホモ(=ゲイ&レズ)というのは、非常にファッショナブルな次元にあるものだ。
ホモは、"fashion"の問題だ。
つまり一種の流儀に過ぎない。
そして、確実に上流だ。
女が男とセックスし、男が女とセックスした方が、機能的に楽で都合が良い。
しかし、考えてみれば、女だって産まれてすぐに他の女の乳首を吸いたがるのだ。
そういう意味では、人類が求める対象は放っておけば皆オンナに向かう、というのが仮説的持論だが、そうなると、さて、ゲイはどうやって説明しようか。
私はゲイとかバイの男性が割と好きであるし、好意的な仮説はいくらでも設定できる。
一つだけ言いたいのは、よく、同性愛が「性的倒錯」の一形態とされるけれど、決して「倒錯」なんかではないということ。
上流な流儀なだけなのだ。
尚、この映画内で少し誤解を招くような描写があった。
同性愛とトランスヴェスティズムはイコールではない。
トランスヴェスティズムだからといって、同性愛者とは限らない。
逆もまた然り。
私は今の所ホモではないが、かと言って完全なヘテロとも言い切れない気はする。
ヘテロセクシュアルな人は、ホモセクシュアルについて非当事者としてしか語れない。
「非当事者」が、「当事者」を造っているのだと思う。
それはさておき、卑弥呼役の田中泯は大変美しかった。