昼の法則と夜への熱情
それに対して、”A”と矛盾・対立する”B”という状態がある。
ヘーゲルは、「AもBも」という量的弁証法の立場をとった。
キルケゴールは、「AかBか」という質的弁証法の立場をとった。
ヤスパースは、「Aでもなく、Bでもない」・・・。
そうだ。
実際、多くの場合は、「Aでもなく、Bでもない」のではないか?
Aでもなく、Bでもない、第三の立場を創り出さなくてはいけない場面が多い。
どちらも選べない対立に置かれている。
「昼の法則と夜への熱情」の、どちらも持っている。
自分の持つ、昼の顔にも夜の顔にも埋没しないで生きるのが、真っ当な人間だ。
Aでもなく、Bでもないのだが、必ず両方の要素を含みつつ飛躍する。
2004年6月4日